【社会人野球】11年ぶりにENEOS復帰の黄金時代を知る「大功労者」 大久保監督のスタイルを熟知する参謀役
主将として2度の黒獅子旗
社会人野球のシーズン幕開けとなるJABA東京スポニチ大会は、3月9日に開幕する。ENEOSにはかつての黄金時代を知る「大功労者」が11年ぶりにチームへ戻ってきた。 【選手データ】大久保秀昭 プロフィール・通算成績 ヘッドコーチに、宮澤健太郎氏(43歳)が就任した。明大から2003年に新日本石油(当時)に入社し、大久保秀昭監督が就任した06年、主将に就任した。12年までチームをまとめ上げ08年、12年には都市対抗を制覇し、2度の黒獅子旗を手にしている。12年は「二大大会」である社会人日本選手権でも優勝へ導いた。51年ぶりの都市対抗連覇を遂げた13年限りで、11年の現役選手を引退。社会人日本代表でも主将を任されるなど、人望が厚かった。勝負強い、左打者の三塁手。宮澤には人を惹きつける、そして、けん引する、抜群のキャプテンシーがあった。 「33歳でしたが、まだ体も動き、特に大きなケガもありませんでした。史上2度目の都市対抗3連覇(1950~52年の全鐘紡)に挑戦したい思いもありましたが、業務命令。私一人で決められることではありません」 13年12月から社業に就いた。同社の東京支店に配属され、いきなり、営業現場に送り込まれた。宮澤には、相当な危機感があった。 「11年、野球をやってきたわけで、同期入社の人間からは仕事において、大きな後れを取っている。石油業界について学び、目標数値に対して、成果を生むため、具体的にどう取り組んでいくか。同僚に助けてもらいながらでしたが、追いつかないといけない。しがみついて、もがいていました。基礎を理解したのは5年。ようやく会話ができるようになりました。与えられた部署で役割を全うするのは、仕事も野球も一緒。野球部員としての11年も会社員としての教育を受ける貴重な時間でしたが、サラリーマンとしての10年も、社会人として成長する時間を過ごせた」 関東第1支店、東京本社を通じて営業一筋。地道に、コツコツと信頼をつかんでいったのは、宮澤の野球人生と重なり合う。岡谷南高から明大入学は一般入試。同郷の長野である島岡吉郎元監督の泥臭いスタイルに惹かれ、机に向かった。3年秋までは出場1試合。誰よりもバットを振り、努力が認められての主将就任。4年春には首位打者を獲得した、まさしく「人間力野球」の象徴だったのだ。