<私の恩人>団長安田 最初で最後…勘三郎さんに気付かされたあの夜
お笑いトリオ「安田大サーカス」の団長安田さん(39)は、恩人に歌舞伎俳優の故・中村勘三郎さんを挙げました。お笑いの道をあきらめかけていた団長に道を示したのが、なんと、フラリと都バスから降りてきた勘三郎さんだったと言います。 コンビ「安田と竹内」を解散して、「安田大サーカス」として再デビューしたのが2001年でした。 お笑いの経験がない2人を連れてのトリオやったんで、まずは僕が彼らの“取扱い説明書”にならなアカンかったんです。 HIROやったら「元力士でよく食べるとか」、クロちゃんは「コワモテやけど声が高い」とか、僕が特色を説明していきながら、笑いを取っていくパターンでした。 それが、ありがたいことに2~3年やって、お仕事をいただけるようになってきた。すると、見ていただいている方々にも、共演者の皆さんにも2人のキャラクターが浸透してきて、僕が“説明書”の役目を果たさなくても、成立するようになってきたんです。 バラエティー番組でも、司会の方が直接2人をイジって笑いを生み出していく。僕はその横で、ただいてるだけ。「ホンマに、自分は必要なんやろうか…」「自分がやりたかったのは、これなのか?」といった悩みが日に日に大きくなっていったんです。 ある日、本当に思いつめて、もうお笑いの仕事を辞めようかと考えながら、テレビ局からトボトボと歩いてたんです。すると、西麻布の交差点に差し掛かったところで、目の前のバス停に都バスが停まった。見るともなく、乗降口を見てたら、なんと、そこから、中村勘三郎さんと笑福亭鶴瓶さんが降りてきたんです!! 状況が把握できずにオロオロしてたら、僕を見つけた鶴瓶さんが「おい、飲みに行くぞ!!」と。カウンターだけの小さなお店に行って3人で飲むことになったんですけど、鶴瓶さんは所属事務所の松竹芸能の先輩だったのでまだよかったんですが、勘三郎さんとはその日が初対面。 ドギマギする僕に、勘三郎さんが「この前の『アドレな!ガレッジ』(テレビ朝日系)、素晴らしかった!!」とおっしゃったんです。僕の出演シーンは、ため池に落ちて「これだけ?」とカメラに向かって叫ぶだけというほんの一瞬やったんですけど「あのセリフ、素晴らしい。間といい、表情といい、番組はあの一言に救われたんだよ」と。 まさか、深夜番組の、ワンコーナーの、一瞬のシーンの、一言だけのセリフを覚えてくださっている方がいらっしゃるとは。しかも、それが勘三郎さんというのに、これ以上ない衝撃を受けました。 さらに、2人がバスに乗っていたのは、2人が一緒に飲んでらっしゃって、ノリで「面白そうだからバスに乗ろう」となって、居合わせた乗客全員を笑かしてきたと。 そのお話にも、衝撃を受けました。この2人でも、そんなことをしてはるんやと。深夜番組もしっかりチェックして、カメラも回ってないのに乗客を全力で笑かして、なんと貪欲に笑いを追い求めてるんやと。それなのに、僕は自分の役割がないと言って、イジけている。そのこと自体が、一気に恥ずかしくなるというか、何をしとんねんとなりました。 結局、勘三郎さんにお会いしたのは、その日が最初で最後でした。とはいえ、一つだけ間違いなく断言できるのは、今に至るまで、あの夜ほど有り難い一晩を過ごしたことはないということです。 (聞き手・文責/中西正男) ■団長安田(だんちょうやすだ) 1974年4月26日生まれ。兵庫県西宮市出身。本名・安田裕己(ひろみ)。松竹芸能所属。お笑いコンビ「安田と竹内」を解散後、2001年に「安田大サーカス」を結成。元力士のHIROとコワモテにハイトーンボイスのクロちゃんを率い、ブレークする。「安田大サーカス」としてABCお笑い新人グランプリ審査員特別賞、上方漫才大賞奨励賞などを受賞。家族は妻・安田さちと次女。松竹芸能の新劇場「道頓堀角座」に今月12日に出演予定。 ■中西正男(なかにし・まさお) 1974年大阪府枚方市生まれ。立命館大学卒業後、デイリースポーツ社に入社。大阪報道部で芸能担当記者となり、演芸、宝塚歌劇団などを取材。2012年9月に同社を退社後、株式会社KOZOクリエイターズに所属し、芸能ジャーナリストに転身。現在、関西の人気番組「おはよう朝日です」に出演中。