「清和寮」爆破事件 「事件起こす意味あったのか」負傷の警察官語るやりきれない思い 警視庁150年 87/150
建物を揺るがす爆発、降り注ぐ火花-。平成2年、東京都新宿区の警視庁独身寮「清和寮」が爆破され、男性警察官1人が死亡、7人が重軽傷を負った事件で、当時やけどを負いながらも救助に当たった警察官が、産経新聞の取材に応じた。事件をめぐっては、過激派「革労協」が犯行声明を出したが、17年に時効が成立した。「事件を起こす意味が、どこにあったのか」。警察官は今もわだかまる思いを語った。(橋本昌宗) 【写真】当時を語る警視庁大塚警察署の永吉申二交通課長 ■2回の爆発 元号が昭和から平成に代わり、上皇さまの「即位の礼」を約10日後に控えた2年11月1日午後10時50分ごろ、清和寮1階で最初の爆発が起きた。「後輩と掃除をしていたら、風呂場の方で大きな音が鳴り、寮が揺れた」。当時、寮に住んでいた大塚署交通課長の永吉申二さん(56)は振り返る。 玄関から飛び出し、風呂場のガスボンベなどがある裏門の方に回ると、白い煙と黒い煙が立ちこめ、映画で見る戦場のような光景が広がっていた。 巡査長だった青木紘さん=当時(48)=が倒れているのを散らばるコンクリート片の間に発見した約5分後、近くの裏門の門柱付近で2回目の爆発が起きた。永吉さんは2~3メートル吹き飛ばされて右腕などにやけどを負い、鼓膜が破れた。 「爆弾があったのが門柱の反対側で助かった。手前側だったらどうなっていたか…」 どうにか裏門付近に戻ると、奥で別の男性が倒れていた。しかし、爆弾はほかにもあるかもしれない。「助けなきゃという気持ちと怖いという気持ちが半々だった」という。 意を決し、そばにいた消防隊員と倒れていた男性を引きずり出した。男性は目に重傷を負ったものの、一命をとりとめた。青木さんは死亡が確認され、2階級特進で警部補となった。 ■確実な殺傷狙ったか 昭和から平成に移り変わる時代、代替わりに伴う皇室の重要行事が続くなかで、反皇室を掲げる過激派のテロ、ゲリラ事件も相次いでいた。 清和寮が爆破された数時間後には世田谷区内にある警視庁の職員寮でも複数の爆弾が見つかった。