広島じゃけん《お好み焼き》(3)通をうならせる“地ソース”カープソース
“うまいもん“の宝庫、広島。なかでも、“お好み焼き”はその代表格だ。地元のソウルフードの地位にとどまらず、今では全国で広く支持されるようになった。 広島のお好み焼きは、いつどのようにして誕生し、どのように広まっていったのか。その歴史や足取りをたどりながら、魅力を紹介していく。
今でこそ、お好み焼ソースと言われるドロッとした粘りのあるソースは、全国で多くのメーカーで作られている。トンカツなど揚げ物に使われるソースも、昔は、ウスターソースと言われるサラサラのソースだけだったが、現在は味も粘度も様々な種類があり、地域や個人の趣味で好みが別れるところだ。 広島県三次市三原町。秋から春にかけて三次盆地で発生する雲海が見られる事で有名な高谷山から北に数キロの中国山地の山間にある、小さな工場を訪ねた。周囲を川と田んぼに囲まれた、この「毛利醸造株式会社」こそ、“お好み焼きの通”の間では有名で、名店と言われる店の多くが使うカープソースの製造元だ。創業は1869(明治2)年で、酒造業から始まり、酢造業を経て、現在はソースが主力商品の地酒ならぬ“地ソース”メーカーの1つだが、その6代目毛利宏成(ひろしげ)社長にソース開発の話を聞いた。
「弊社がソースを造り始めたのは1930(昭和5)年ですが、戦後の復興のなかで、数多くの一銭洋食の屋台ができ、ソースの需要が伸びると同時に取引先である経営者様から多くのアドバイスをいただき、品質の改良をしてきました。」 その中で一番熱心に味にこだわったのが、井畝満夫“みっちゃん”だったという。「当時(昭和27年頃)弊社のソース工場は広島市西区の舟入川口町にもあり、従兄弟の毛利敬一郎(故人)が広島のソースを担当していました。そしてマスター=(みっちゃんのこと。業界関係者は井畝氏をマスターと呼ぶ)と共に今のカープソースの原型を造っていただいたようなものです。」 今のような近代化された工場ではなく、A重油を使うバーナーで鉄釜を焚き、出来たソースを手酌で一升瓶に流し込む、そんな時代。「とろみを付けたお好みソースは流し込むのに凄く時間が掛かって大変でした」。懐かしそうに毛利社長は続ける。 「まずそのとろみですが、最初は片栗粉を使いましたが、粘度が長続きせず、試行錯誤の末にコーンスターチにしています。また他にもウスターソース独特の酸味を抜いたり、今度は『舌がピリピリするのを、なんとかせにゃいけんぞ』とマスターに言われ、香辛料の配合を見直しました。」 そうした苦労の末に出来たカープソースだが、当初は業務用のみの販売で“お好み焼き店の味”としては有名でも、一般の知名度は今一つだった。また、試行錯誤を繰り返した故か「味が安定していない」と言われて一部の店からは敬遠もされたが、時代が流れ、平成に変わる頃やっと完成。1993(平成5)年には県主催の食糧品展示品評会・お好みソースの部で第1位知事賞を獲得した。