『カントリーロード』が繋ぐサポーターとベガルタ仙台との絆
宮城県仙台市に本拠地を持つサッカーチームのベガルタ仙台。 このクラブのシーズン中の記録を集めたものとして、毎年『カントリーロード』という雑誌が発行されている。 25年前からこの雑誌の編集・発行の中心的役割を果たしている市民後援会理事長の佐々木知廣氏とベガルタ仙台広報の庄子勝裕氏の2人に、『カントリーロード』について話を聞いた。
クラブの記録は、サポーターの財産
---『カントリーロード』が発行されるようになった経緯を、お聞かせいただけますか。 佐々木知廣氏(以下、敬称略)「『カントリーロード』発行においては、仙台にあるこのクラブの情報が将来にきちんと残っていくのかという不安があったことが、動機の一つとなりました。 『カントリーロード』の第1号は2000年に発行され、その内容はベガルタ仙台の1999年の活動を記録したものでした。ブランメル仙台は1995年から1999年の4シーズンを通して活動しましたが、翌年のシーズンからのJ2リーグ発足に合わせ、チーム名をベガルタ仙台に変えることが決まっていたのです。 そうした変化の真っ只中にあるクラブのデータ、例えば、『〇月〇日の対△△戦で、ベガルタ仙台の〇〇選手が、試合開始〇分後にゴールを決めた』というデータをきちんと残す必要があるのでないか、と感じたことが、『カントリーロード』発行のきっかけになりました。クラブの記録はサポーターにとって財産の一つです。また、当時は今のようにインターネットが発達していなかったので、そうした試合の詳しいデータを探すことは、かなり難しい時代でもありました。 そこで、そうしたデータ集の発行をクラブにお願いしたら、クラブの方では編集や発行の体制がとれないということでしたので、市民後援会の方で執筆・編集・発行を行いました。写真に関しては、覚書を市民後援会がクラブと締結して、使用することができるようになりました。 このような経緯から、私たちは『カントリーロード』をベガルタ仙台の記録誌であると考えています。」 ---お話を伺ったところ、当時の試合の公式記録を残す手段として『カントリーロード』が誕生したことがわかります。とはいえそのような細かい記録は、わずか1シーズンだけでも膨大なものになります。こうした記録を編集・発行の専門家以外の方が本という形にするのは大変だったのではないかと、想像しますが。 佐々木「多くのJリーグのチームがこうした記録誌を作るときには、そのチームの地元の新聞社が中心的な役割を果たします。やはり、そうしたところは仕事としてデータを細かく取っていますし、書籍関連の発行のノウハウもありますから。 でも、幸いベガルタ仙台の市民後援会はオタクの集まりだったことあり(笑)、個人の趣味としてベガルタの試合の記録を細かく記録している人が何人もいました。また、市民後援会は1999年の初頭に発足したばかりで、『カントリーロード』を手がけた頃はまだ組織としても新しくバイタリティーもあったので、クラブの記録誌を作るなんてことにも、踏み切ることができたのだと思います。 『カントリーロード』は今でも毎年発行していますが、いまだに1999年度版の作成に関わったサポーターが制作の中心になっています。」