学校はすべて私立に、戦争は民間軍事会社に…「無政府主義」を日本で実践したら社会はどうなるのか
価値観が移り変わる激動の時代だからこそ、いま、私たちの「当たり前」を根本から問い直すことが求められています。 【写真】学校はすべて私立に、戦争は民間軍事会社に…「無政府主義」の思考実験 今回は、無政府主義=アナルコ・キャピタリズムの世界を考えてみます。 法哲学者・住吉雅美さんが、常識を揺さぶる「答えのない問い」について、ユーモアを交えながら考えます。 ※本記事は住吉雅美『あぶない法哲学』(講談社現代新書)から抜粋・編集したものです。
アナルコ・キャピタリズムの世界(1)「教育」
それでは、無政府資本主義の世界について、教育・警察・刑罰・戦争の4つの角度からシミュレーションしてみよう。 (1)教育 もちろんこの社会には国立、公立学校というものはない。もちろん文部科学省などという、補助金をちらつかせて大学にいろいろ介入する官庁もない。ついでに「国民の税金で勉強しやがって」と放言する政治家もいない。 そもそも昔の教育は私塾でやっていて、それでも日本は滅びずにきたのだから、全部私立学校であってもおかしくない。だいたい今日、学生が本来の学校よりも真剣に通って勉強している進学塾のシステムは自由に決められているが、とくに問題はないではないか。 なぜなら塾は競争にさらされているから、顧客が離れるような質の悪い教育はできないし、経営に痛手を与えるスキャンダルを起こさぬよう能力と共に人間性の優れた講師しか雇わないからである。 学校がどのような内容のことを教えるべきかは各校が独自に決めて、学生を集める競争をする。教育費は幼少期には親が支払うが、ある程度成長したらアルバイトで自己負担が原則。貧しくても向学心があって能力のある子には、NPO、または世間の評判を上げたい大企業や銀行が融資して高度な教育を受けさせ、出世させて回収する。 大学入試も受験生や大学教員に要らぬ負担を強いるような面倒なものではない。金を払える希望者は原則的に全員入学。しかし優秀な卒業生を世に送り出さないと大学の社会的評価が下がるので、進級と卒業の基準は厳格でクリアは容易ではない。 ただ、学生の中にもいろんなニーズがあるので、卒業しづらいエリート大学を選ぶ者もいれば、お気楽な学生生活を送り卒業しやすい大学を選ぶ者、スポーツで有名な大学や芸能人が多く通う大学を選ぶ者もいるだろう。その意味では人々の多様な人生目的に応じた、多様な大学が経営されている。 いずれにせよ人々に支持されない大学は消えゆくのみ。