“黒”の流行で大正パニック襲来を予見 夫を将軍にさせた参謀役 山内江い子
夫婦二人三脚で相場道を極めた山内宇三郎、江い子。大胆な売りで名を馳せた宇三郎でしたが、江い子と結婚してから、ツキが巡ってきたと言われます。江い子は妻として夫を立てながらも、その市況の観察眼は鋭く、この妻なくして宇三郎は出世することはなかったでしょう。夫婦仲良く、相場道を歩む二人はうらやましく微笑ましくも感じます。夫を支えるだけでなく、女性の地位向上にもつとめた女性投資家の鑑というべき江い子の相場人生を市場経済研究所の鍋島高明さんが解説します。
斜陽の相場師、山内宇三郎の勝負運を呼び覚ました内助の功
京都の大相場師、山内宇三郎(1872-1942)は「鵯越(ひよどりごえ)将軍」と呼ばれる。一ノ谷の合戦で源義経が「鵯越逆落し」の奇襲で勝利した故事にちなんで名付けられた売りの名人である。 宇三郎は初め米相場で負けてばかり、妻にも逃げられる体たらくであった。それが大正4年、44歳のとき、江い子と再婚してから勝負運に恵まれ、将軍と呼ばれる大出世。『鵯越将軍出世物語』と言う伝記が出版されるほどの人気男にのし上がる。京都の資産番付でも上位を占める躍進ぶり。ここでは同書によって女性投資家山内江い子の足跡をたどることとする。 江い子は京都の名門平安女学校を卒業、口八丁手八丁の「大正相場夫人」と称される。江い子は結婚当時を振り返ってこう語る。 「私は山内に嫁して参りました以上、ぜひともこの夫を成功させなければならぬ、私の念力で立派に富者にしてみせる、当時夫に借金のあったことは承知しておりました。相場界で活動する者に借金は当然、これくらいの波乱曲折と失敗した経験のある年配者がなにより尊い……しかし、嫁して1、2カ月は相場もなかなか意の如く参りませんでした」 なんとも頼もしい江い子の「内助の功」宣言である。折からの欧州大戦バブル景気で株価も物価も踊っていた。株成り金、鉄成り金、船成り金、染料成り金……成り金ラッシュの折から、江い子は夫宇三郎のパートナーの役割を務める。参謀役でもある。江い子は毎朝南禅寺辺りから車に乗って市況や道行く人を眺め、流行の移り行く光景をじっくり観察してから店を出る。江い子は語る。 「こうした毎日の世相や時代相に表れたちょっとした特徴の間に目にした暗示が私の市況を観察する心線に触れるのです」 そして神前にぬかずき、敬神の念を高めてから夫婦そろってその日の作戦を立て相場道に邁進する。