「戦えなくなったらゴルフをやめる」/原英莉花インタビュー(前編)
術後の1球目は「ピョーンって右に」
スイングの生命線である腰にメスを入れた。「自然治癒もあったんですけど、ただ待っているだけなら手術して取った方が絶対いいなと」。医師の「3カ月で復帰できる」という言葉もあって「短期間で治るなら」と決断した。 術後は不安が募る一方だった。3日間は寝たきり、神経も全然反応しない。それでも、手すり伝いに歩くリハビリを始め、階段の昇降を始めた。術後1カ月でクラブを握れるようになり、「早くゴルフがしたい気持ちでワクワクでした」。初めて球を打った時を「ピョーンって右に行ったんですけど、それすら楽しかった」と振り返る。
「1Wは3球まで」、「フルスイングはまだやめておこう」と徐々に段階を上げた。「1週間ぐらい練習したら少しずつ感覚も戻り、不安だったアプローチの感覚も悪くなかった。体さえ戻れば、『コレいけるじゃん』って」。手術からわずか3カ月、8月初めの「北海道meijiカップ」でスピード復帰した。
飛距離ロスとの対峙
腰痛は一段落したが、今度は「1Wが飛ばない」という壁が立ちはだかった。「今まで刻んでいたホールで『え、ここ1W? 3Wじゃなくていいの?』ってキャディに聞き返したり。距離が落ちるって嫌じゃないですか。衰えみたいですごくがっかりしちゃう」 9月末、復帰8戦目の「日本女子オープン」。会場の芦原GCは初体験だった。コースを知らないから、落ちた飛距離が気にならない。「今の自分でどう戦うかにフォーカスできてすごく前向きにプレーできた」
3日目に首位に立って逃げ切った。「復帰後は『絶対勝つ』と強い気持ちでした。でもまさか女子オープンで勝てるとは…」。数カ月前は歩けなかった人間が、国内メジャーで勝つ―。誰も想像できない復活劇だった。
米国への思い 「QT失敗」は過去のこと
手術に踏み切った理由のひとつに「米国挑戦」への思いがあった。「秋の米ツアーのQスクールだけは絶対に受けたい」というスケジュールを組んでいた。 10月のQスクール・ステージII(2次予選会)は最終予選のQシリーズ出場圏内の40位タイ以上に向け、2日目を終えて34位タイ。ところが、3日目にスコア誤記を犯して失格する。「67」とすべきスコアカードを「66」で提出した。残り1日を12位タイで迎えるはずだった。「自分に一打一打、勝ちながらプレーできていました。それがあの一瞬の出来事でなくなったのは、なんとも言えない苦しみでした」。 救いは自分の気持ちが、前向きでいられたことだ。「きのう、何を食べたとかも覚えてないぐらい、(自分は)今しか分からないタイプなのかなって最近、思い始めています。でもそれって大事で、きょうを大事に生きたらあしたにつながる。あしたを大事に生きたら、またその次に。米国に行きたいという気持ちも自分の中で大事にしながら、ちょっとずつ世界ランクを上げて前向きにいけたらいいかな」