『フェラーリ』マイケル・マン監督インタビュー。「人生は映画のようにシンプルではない」
『ヒート』『コラテラル』のマイケル・マン監督が長年にわたって追い続けてきた念願のプロジェクト『フェラーリ』がついに完成した。彼は約30年前からこの物語を描くべく奔走してきたという。なぜ、マン監督はこの題材に惹かれたのだろうか? 監督に話を聞いた。 【画像】『フェラーリ』の写真 自動車に興味がない人も本作のタイトルを一度は目にしたことがあるのではないだろうか? フェラーリはイタリアの自動車メーカーで、世界中の自動車ファンを魅了し続けている。本作はそんなフェラーリの創業者エンツォ・フェラーリが登場する作品だ。 しかし、本作は単純な伝記映画でも、エンツォ・フェラーリだけが主人公の映画でもない。舞台は1957年。59歳になったエンツォは、前年に愛する息子ディーノを病で失い、妻であり、共に自動車会社を立ち上げたラウラと緊張状態が続いている。一方で彼は妻ラウラに隠れて別の女性リナ・ラルディとの間に息子をもうけており、エンツォはふたつの家を行き来している。 そんな折、フェラーリ社は業績不振によって経営危機を迎え、買収の話も持ちかけられる状態に。私生活にも経営にも行き詰まったエンツォ、夫婦仲は冷め切っている上に夫に別の家庭があることをまだ知らないラウラ、そしてエンツォとの間に生まれた息子の姓を“フェラーリ”にするか自身の姓“ラルディ”にするか迫るリナ。登場人物たちの想いと不満が沸騰していく中、エンツォは事態を打開するべくイタリア全土を横断する公道レース“ミッレミリア”への出場を決める。 本作は約30年前にエンツォ・フェラーリの伝記本をベースに脚本づくりがはじまった。しかし、マン監督はこの映画でエンツォとラウラの“ふたりのフェラーリ”を対等な主人公として置き、そこにリナ・ラルディのドラマを絡めた。 「エンツォ、ラウラ、リナの関係性は本当にユニークなものです。息子を失ったことでエンツォとラウラの関係はよりドラマティックなものになっていきます。エンツォは妻につらくあたることがある一方で、とても献身的になったりもしました。ラウラは夫に裏切られたと感じていて、息子を失った悲しみとトラウマから抜け出せていません。そしてふたりが共同で立ち上げたフェラーリ社が危機に陥った時、会社をどうすれば良いのか、どうすれば救えるのか知っていたのは、実は妻ラウラの方だったんです。 つまり、ふたりは“共に生きる”こともできなければ、“相手なしに生きる”こともできない関係になっています。私たちがよく観る映画やドラマは人間関係や対立がシンメトリー(左右対称)に設定されていて、最後にはスッキリとした解決が描かれますよね? しかし、エンツォとラウラは物語よりもずっと複雑な関係でした。 ある時、ラウラが足を滑らせて運河に落ちたのですが、そばにいた人が溺れた彼女を助けたそうです。その話を聞いたエンツォは思わず『なんで助けたんだ』と言ったそうです(笑)。 しかし、同じ年にフェラーリ社の幹部や従業員たちが、工場運営に干渉してくるラウラに対して抗議したところ、エンツォはその従業員たちすべてを即座に解雇したそうです。エンツォとラウラは緊張関係にある。でもふたりの気持ちは連帯している。このふたつは矛盾しない。ふたりの関係を分析する中で、私はこのカップルの関係性の複雑さに魅了されたのです」 これまでのマン監督作品の多くで、ふたりの人物が時に対立し、時に行動を共にする姿が描かれてきた。『ヒート』ではアル・パチーノ演じる警官と、ロバート・デ・ニーロ演じる強盗団のリーダーの対立が描かれた。『コラテラル』では冷酷な殺し屋と、平凡なタクシー運転手が行動を共にし、両者の関係が変化していった。本作では熾烈な銃撃戦が描かれるわけでも、男たちのドラマが描かれるわけでもないが、これまでのマイケル・マン映画の要素がさらに複雑に、さらに凝縮されて描かれる。