センバツ2024 耐久、田辺 春来る /和歌山
第96回選抜高校野球大会(毎日新聞社、日本高校野球連盟主催、朝日新聞社後援、阪神甲子園球場特別協力)の選考委員会が26日開かれ、県内から耐久と田辺の出場が決まった。耐久は春夏通じて初めて、21世紀枠で選出された田辺は76年ぶり3回目のセンバツとなる。両校の選手たちは、出場決定の知らせに喜びを爆発させた。組み合わせ抽選会は3月8日。大会は同18日に兵庫県西宮市の阪神甲子園球場で開幕する。【安西李姫、橋本陵汰、竹内之浩、大塚愛恵】 【写真で見る歓喜の瞬間】歴代のセンバツ覇者たち ◆田辺 ◇聖地で校歌斉唱へ闘志 校長室で待機していた田辺の西嶋淳校長は午後3時40分ごろ、21世紀枠に選出されたことを知ると、両隣にいた田中格監督と嶋田大輔部長と握手。集まった報道陣に「おかげさまで選出された。勉強も野球も地域貢献も全部頑張ってきたことが報われた。本当にうれしい」と喜んだ。 西嶋校長は選手たちが整列して待つグラウンドへ向かい、「本校が21世紀枠の出場校として選ばれた。みんな本当におめでとう」と選手たちを祝福した。そして「昨年の秋から皆さんは成果を出してきた。ずっと応援してくれた方たちに対して感謝の気持ちを持って、夢の舞台に向けて一層精進してほしい。行くからには甲子園で校歌を歌おう」とエールを送った。 続けて田中監督は「忘れたらいけないのは、選出は学校やOB・OG、地域の皆さんの力ということ。感謝の気持ちを持って甲子園へ行きましょう」と語りかけると、選手たちは「はい」と大きな声で答えた。 昨秋の県1次予選から近畿地区大会まで全7試合で登板したエースの寺西邦右(ほうすけ)投手(2年)は選出に「ほっとしている。(直球は)140キロ以上を目指し、変化球はコントロールを良くして甲子園に臨みたい」と闘志を燃やした。主砲として打線を引っ張った山本陣世選手(2年)は「近畿大会で負けた京都国際と甲子園で戦いたい。まずはヒットを打ち、本塁打も狙いたい」と気持ちを高めていた。 ◇愛されるチーム心がけ 2023年秋の県大会2次予選では打線を爆発させ、県内の強豪を次々に降した。準々決勝では、夏の甲子園に出たばかりの市和歌山に八回コールド勝ち。準決勝は4番の山本陣世選手(2年)が七回に逆転満塁本塁打を放つなどし、智弁和歌山を5―2で破った。 近畿地区大会では、1回戦で京都国際と対戦し、延長十回タイブレークの末に2―3で惜敗。息をのむ投手戦を展開したが、あと一歩及ばなかった。躍進の立役者は、エースで最速139キロ右腕の寺西邦右投手(2年)。直球で堂々と勝負する姿は、田中格監督も「どんな状況でも辛抱強く投げられる」と評価する。 同年11月に21世紀枠の県推薦校に選ばれ、練習へのモチベーションもより一層高まっていた。近隣の高山寺(こうざんじ)では、石段を使ったダッシュで下半身と精神力を強化してきた。チームのモットーは「愛される野球部」。「甲子園1勝」を目指し、晴れ舞台を心待ちにしている。 ◇学校プロフィル 文武両道「田高」 1896(明治29)年に旧制中学「県第二尋常中」として開校し、1948年から現校名。生徒数818人。2006年に中学校を開校し、併設型中高一貫校となった。紀南地域屈指の進学校で、今年度は国公立大学に現役生115人が進学した。 野球部は1898年創部。部員は1、2年生各9人とマネジャー4人。「田高(でんこう)」の愛称で親しまれ、地域の少年野球チームや野球未経験児童との交流も大切にしている。 甲子園には夏に1回(1995年)、春に2回(47、48年)出場している。2021年のプロ野球ドラフト会議では、新家颯投手が広島カープから育成1位指名を受けた。 学校所在地は田辺市学園1の71。 ◆耐久 ◇旋風期待し町には花火 耐久は戸川しをり校長が校長室に用意したパソコンで、選考委員会のオンライン中継を見守った。近畿地区の順番になると背筋を伸ばし、午後4時過ぎに校名が呼ばれると拍手で喜んだ。先に田辺の21世紀枠での選出が発表されており、集まった報道陣に「田辺と2校同時に出場できることをうれしく思う。ともに頑張っていきたい」とあいさつした。 グラウンドでは選手たちと監督が整列し、知らせを待っていた。戸川校長が出場決定を告げに行き「耐久旋風を巻き起こしてください」と激励。チャイムとともに町内放送が流れ、夕空には湯浅町と広川町が合同で準備したお祝いの花火も打ち上がった。 集まったOBや保護者からの拍手がやむと、井原正善監督は選手たちに「学校と野球部の歴史を塗り替えてくれたことに感謝したい。ただそこで終わったら意味がない。恩返しできるようにやっていこう」と声をかけた。 エースの冷水(しみず)孝輔投手(2年)は「全国の良いピッチャーが集まるが、負けないぐらい力強いピッチングを見せたい」と笑顔。「残り1カ月半あるとプラスに捉え、球速やキレを磨いていきたい」と力強く語った。 4番を任されている岡川翔建(しょうけん)選手(2年)は「チャンスで打って、チームで一番の打点を稼ぎたい」と意気込む。マネジャーのベンチ入りは1試合1人だが、西川心花(ここな)さん(1年)は「甲子園で1勝し2人のマネジャーがどちらもベンチでスコアを書きたい」とはにかんだ。 ◇少人数ゆえに経験豊富 校名のごとく「耐えて」勝つ野球で、躍進を遂げた2023年秋だった。夏の選手権和歌山大会では初戦で敗退したが、新チームとなり挑んだ県大会2次予選では順調に駒を進め、決勝で田辺を5―3で降し初優勝を飾った。勢いに乗った近畿地区大会では社(兵庫)、須磨翔風(同)を破り、準決勝で京都外大西と対戦。両校合わせて8安打の投手戦に持ち込んだが、0―1で敗れた。 最速142キロ右腕のエース・冷水孝輔投手(2年)は制球力が高く、県2次予選から近畿大会にかけて全6試合を完投した。「勝ち上がるごとに自信をつけた」といい、甲子園でも要所を締める勝負強さに期待がかかる。打線の主軸は岡川翔建選手(2年)。近畿大会の社戦では八回に逆転の3点適時二塁打を放ち、チームを勝利に導いた。ベンチ入りは部員全員の19人で、少人数ゆえに公式戦経験の豊富なメンバーがそろう。 春を告げる夢舞台で、全国に「耐久」の名をとどろかせる。 ◇学校プロフィル 創立は江戸時代 創立はペリー来航よりも早く、江戸時代の1852(嘉永5)年にさかのぼる。幕末の国際情勢に備える人材育成のために開かれ、後に「耐久社」と名付けられた稽古(けいこ)場が起源。しょうゆ造りを家業としていた浜口儀兵衛家(現ヤマサ醬油)の7代目当主、浜口梧陵(ごりょう)らが創立した。浜口は、津波の際に村民を避難させた逸話「稲むらの火」でも知られる。校訓は「真・健・美」。 野球部は1905年に創部された。部員は2年生10人、1年生9人、マネジャー2人。これまで春夏ともに、甲子園の出場はなく、夏の高校野球和歌山大会はベスト4が最高だった。OBには元中日の投手・金森隆浩氏ら。 学校所在地は湯浅町湯浅1985。 ◇両校で号外配布 JR和歌山駅なども 両校のセンバツ出場を伝える毎日新聞の号外が両校などで配られ、生徒や選手、後援会のメンバーらが次々と手に取って読んでいた。田辺高校吹奏楽部の井澗遼太朗さん(1年)は「甲子園で自分たちの精いっぱいの力を出してほしい」と選手たちに期待。自身も甲子園で演奏するとし「大きな音でプレーを後押ししたい」と話した。 この他、JR和歌山駅や南海和歌山市駅などでも道行く人たちに配られた。 ……………………………………………………………………………………………………… ◆田辺 昨秋の成績 ◇県大会2次予選 準々決勝○9―2市和歌山 準決勝 ○5―2智弁和歌山 決勝 ●3―5耐久 ◇近畿地区大会 1回戦 ●2―3京都国際 ◆耐久 昨秋の成績 ◇県大会2次予選 準々決勝○6―0日高 準決勝 ○5―0和歌山東 決勝 ○5―3田辺 ◇近畿地区大会 1回戦 ○5―4社 準々決勝○4―1須磨翔風 準決勝 ●0―1京都外大西