【ニッポンマラソンへの遺言】メキシコ五輪の代表選考 大紛糾の原因
68年別府毎日マラソンで競り合う君原(ゼッケン2)と佐々木(同1)/(C)共同通信社
1964年の、東京五輪のマラソン代表はすんなり決まったが、つづくメキシコ大会の代表選考は揉めに揉めた。 五輪前年、クレイトン(豪州)が「人類の壁」といわれた2時間10分(2時間9分36秒4)を切って優勝した国際マラソン(現福岡国際)で、佐々木精一郎が2時間11分17秒の...
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