「ぐぼねず」と「あげづ」(9月29日)
今から五十年ほど前、私が中学生だった頃の話だ。家族で夕食をとっていた時、祖母が「背[せ]戸[ど]の木小屋さ、かんぷら取っしゃ行ったら、ぐぼねずに、あげづ引っかがってだ」と言った。 いわきの言葉、方言が盛りだくさんで、私には祖母の言っていることが完全には理解が出来なかった。前半の「背戸の木小屋さ、かんぷら取っしゃ行ったら」は、母屋の「背戸」、裏手にある木小屋に「かんぷら」、ジャガイモを取りに行ったらという意味で、そこまでは理解が出来たが、後半の「ぐぼねずに、あげづ引っかがってだ」の方は全く理解が出来なかった。「ぐぼねず」と「あげづ」は初めて聞く言葉だった。 「どういう意味?」と祖母に尋ねると、「ぐぼねず」はクモの巣、「あげづ」はトンボのことだと教えてくれた。 「ぐぼねず」の「ぐ」は「く」が、「ぼ」は「も」が、「ず」は「す」が濁音化したもので、「ね」は「の」が変化して、「ね」になったものだということを後に知った。また、「あげづ」という言葉だが、古い時代、トンボは「あきつ」と呼ばれていた。その「あきつ」が濁音化によって、「あぎづ」になり、さらに、「ぎ」が「げ」に変化して、「あげづ」になったということを、やはり、後になって知った。「あげづ」は秋田県では今でも使われていて、「ぼんあげづ」「やまあげづ」「たのくろあげづ」「くるまあげづ」「よるあげづ」「かみさまあげづ」「なんばあげづ」などと、トンボの種類ごとに呼び名があるという。
ところで、祖母の言葉にあった「木小屋」にも注意が必要だ。 数年前のことになるが、いわきの言葉、方言について講話をして欲しいと頼まれ、市内の小学校で子どもたちに話をしたことがあった。「木小屋」という言葉については、特に解説はいらないだろうと思っていたが、時間に余裕があったので、子どもたちに「木小屋って、何のことか、知ってるよね?」と尋ねると、子どもたちは、皆、大きく頷き、「木で出来ている小屋です」と答えた。この答えに私は面食らった。「木で出来ている小屋って、例えば、何?」と尋ねると、一人の子が手を挙げ、「犬小屋」と言った。 この答えに私は驚いた。「木小屋」というのは煮炊きや風呂を沸かす時などに使う薪木を貯蔵しておく小屋のことだと子どもたちに伝えると、子どもたちはさっぱり納得がいかないようで、一様にポカーンとした顔をしている。 「昔は家のなかで木を燃やして、御飯を炊いたり、味噌汁を作ったり、風呂を沸かしたりしていたんだよ」と言うと、「駄目です。家のなかで木を燃やしたら、危ないです。火事になっちゃうよ」。子どもたちは口を揃えて言った。
私が中学生だった頃と現在、この五十年ほどの間に、使っている言葉も、住む家の造りも、日々の暮らしも大きく変化したのだ。(夏井芳徳 医療創生大学客員教授)