VFXは現在の日本映画最高峰! リッチさ溢れる『ゴジラ-1.0』はまごうことなき邦画超大作
金がかかっていると叫びたい。『ゴジラ-1.0』(2023年)は、まごうことなき邦画超大作である。まず結論から言うと、私は本作を支持したい。幼少の頃に平成ゴジラで映画に目覚めた身ゆえに、どうしてもゴジラの新作と向き合うときは、試合ならぬ“死合”の覚悟で臨むが、今回は私が打ちのめされた。山崎貴監督は見事な仕事をやってのけた。いやはや、何はともあれお疲れ様でした。 【写真】不安そうな表情を見せる神木隆之介と浜辺美波 とはいえ、もちろん問題も多々ある。個人的に神木隆之介と浜辺美波が同棲生活を始める際の、いかにもラブコメ的なやり取りは、冒頭の情け無用の残虐トーンから急に変わったので不安になった。そして山崎貴監督の良くも悪くも分かりやすさ重視の作風は、本作でも健在なのだと思い、劇中に込められた強い反戦メッセージを感じつつ、「最後に老けメイクの神木隆之介か、成長した姿という体で火野正平あたりが出てきて、説教を始めたらどうしよう?」と本気で心配もした(当然そんなことはなかった)。しかし、こういった気になった箇所はありつつ、それらを「些末なこと」と切り捨てられるほどの魅力が本作にはある。それはもちろん、素晴らしいゴジラが出てきて、素晴らしい大破壊を繰り広げるからだ。 本作のVFXは間違いなく現在の邦画の最高峰だと断言できる。架空の存在を「そこに本当にいる」ように描くこと。このシンプルな驚きが本作にはある。山崎貴監督が手掛けた西武園ゆうえんちのアトラクション「ゴジラ・ザ・ライド」をベースに、かつてないほどド迫力のゴジラを観ることができるのだ。それは『トランスフォーマー』(2007年)の1作目で車がワンカットで変形した瞬間、『ジュラシック・パーク』(1993年)で復活した恐竜を初めて目撃したときのような感覚だ。「百聞は一見に如かず」ではないが、映像の力で思い切り殴られる感覚。そういった瞬間が本作にはあるのだ。これは恐らく最初の『ゴジラ』(1954年)で観客のハートを掴んだものと同じだろう。少なくとも私は、開始10分でゴジラ欲が満たされた。 観客の「すげぇゴジラが観たいんですよ!」という気持ちに見事に応えているので、問題点すら愛嬌のように思えてくる(神木高速土下座は、明日から真似したい必殺ムーブである)。山崎貴監督が自分の得意フィールドにゴジラを引き込んだとも言える。それに物語終盤から登場人物の目がバキバキになり、台詞の数も減って、映像の力のパワーが増し、『プロジェクトX』的な旨味を素直に受け取ることができた。お話の〆方もツイストが利いていて、さらりと覗く不穏さも良い。ちなみに本作はゴジラ以外にも舟や兵器に対する物凄くフェティッシュな視線があり、お好きな人はたまらないものがあるだろう。 さて、ここからは余談になるかもしれないが……私が本作を観ていて一番感動したのは、冒頭に書いた「金がかかっている」感がずっとあったことだ。邦画のジャンル映画(アクション、ホラー、ディザスター映画)系の超大作では、「金がねぇなぁ」と思うことが多々あった。低予算や中規模の映画ならさておき、全国で大々的に「超大作」と宣伝される映画で厳しいセットや安いCGを目撃して、落胆したことが何回あっただろうか? その度に「この手の映画は日本では無理なのだろうか」と勝手に落ち込んでいたものである。もちろん『HiGH&LOW THE MOVIE』(2016年)のような異常な金の使い方をしている例外もあったが、基本的に「やっぱどこも金がないのかなぁ」と悲しい気持ちになってばかりであった。ところが本作にはそれがない。全編に渡って金を使うべき場所に正しく使ったと伝わるリッチさがあった。今は過去にいろいろな映画で覚えた悲しい気持ちが、すべて浄化されたような晴れ晴れしい気持ちである。 もちろんこちらも大人であるから、画面に映るものが作り物だとは分かる。しかし作っている人間たちの「そこにないものを作るんだ」という高い志と、そこから出力されたお値段以上の成果物には頭が下がるばかりだ。残念ながら、恐らく実際の予算はハリウッド映画に比べるとかなり小規模だろう。そんな中で本作の登場人物の如く、これまでに培ってきた経験と技術でハリウッドばりの映像を作った全関係者に改めて大きな声で言いたい。本当にお疲れ様でした。そして日本でもジャンル映画を作る際に、何とかして、もっともっと潤沢な予算と時間が用意される世界になってくれと祈るばかりである。
加藤よしき