阪神の育成プログラムを狂わせたドラ1大山の嬉しい誤算
阪神の連敗を「8」でストップさせた救世主はベテランでも新外国人でもない、ドラフト1位のルーキー、大山悠輔(22)だった。1日、甲子園でのヤクルト戦。金本監督は「打撃コーチから大山の推薦があった。他に5番を打つ選手もいないんだからルーキーでも関係ない」と「5番・一塁」でスタメン抜擢した。 5番も、本拠地・甲子園も大山にとっては初。0-0で迎えた3回一死二、三塁から目の前で不振の4番打者、福留孝介が三振に倒れた。重苦しい空気が流れた。さらに二死二、三塁。大山はヤクルトの先発、原が外角に投じた145キロのストレートを「積極的に思い切り振り抜いた」という。 「入るとは思わなかった」(大山)「レフトの頭は超えると思ったけれど、入ってくれと」(金本監督)。 様々な思いを乗せた打球をバレンティンが見送った。記念のボールはレフトスタンドの最前列で弾んだ。 先制の3ラン。そして、8連敗中に1本の本塁打もなかったチームにもたらした待望の一発は、決勝3ランとなった。プロ初ヒット初本塁打の記録は、阪神では、継承した背番号「3」の先輩“代打の神様”八木裕と同じ快挙。阪神のレジェンドに恥じないデビューを飾った。 大山は、「今まで生きていた人生で一番幸せな時間だった」と、どこかで聞いた覚えのあるようなセリフをお立ち台で残した。1992年のバルセロナ五輪の200m平泳ぎで金メダルをとった当時、14歳の岩崎恭子さんが発した名言である。ちなみに大山は、1994年12月の生まれ。岩崎恭子さんの名言をリアルタイムで知らない世代である。 実は、大山の8連敗救済アーチは、フロント、現場にとって“誤算の一撃”だった。 白鴎大出身で大学の全日本代表チームで4番を打ったドラ1ルーキーを沖縄の1軍キャンプに合流させていた金本監督は、1か月のキャンプを終えると、「1軍レベルで戦う基礎体力がない」と、2軍に落として、まず基礎体力作りをメーンにした“ゼロからの再出発”を指令した。大学時代には、本格的なウエイトトレーニングをした経験もなかった大山は、まだプロのパワー、スピード、スタミナを備えていなかった。