焼けた土塁とがれきが衝撃物語る 大阪・禁野火薬庫跡
ミシンやハーモニカの部品を発見
砲弾の破片などとともに、足踏みミシンの部品が出土。薬のうと呼ばれる火薬を収納する布袋を生産していたため、ミシンを踏んで縫製作業に取り組む女性労働者もいた。 作業から解放された労働者がくつろぐときに吹いていたと思われるハーモニカの部品が見つかっている。軍事施設の日常生活を垣間見せてくれる。 大爆発は周辺地域にも大きな被害をもたらした。家屋の全半焼821戸、被災世帯4425世帯に達した。砲弾片が半径2キロにわたって飛散し、一部は淀川を飛び越えて対岸の集落に落下したという。火薬庫はその後復旧され、終戦を迎える。
「天の川堤防で火薬庫の残骸見た」の証言も
説明会に参加した枚方市在住の80代男性は「戦争が終わった45年秋から46年ごろだったと思うが、天の川の堤防に、火薬庫の残骸が野ざらし状態で山積みされている光景を見た」と証言。天の川は火薬庫にほどちかい。「火薬庫解体作業の一環で、GHQが火薬庫から撤去した残骸の仮置き場にしていたのではないか」と推測していた。 2歳男児と散歩の途中で会場に立ち寄ったという地元の30代女性は「近くに火薬庫があったなんて知らなかった」と驚きを隠さない。火薬庫で女性も勤務していたと聞かされ、「どんな思いて働いておられたのか。平和な時代に生まれてよかったと改めて思います」と話していた。戦争の記憶は身近なところにも残っている。 (文責・岡村雅之/関西ライター名鑑)