豪快で繊細。命がけで選手を守った故・小出義雄氏の指導哲学
バルセロナ五輪で銀メダルを獲得してヒロインとなったが、その後、怪我に苦しみ、アトランタ五輪への道は険しかった。世論を巻き込む論争にもなった選手選考の末、アトランタ五輪の代表権を手にしたが、米国ボルダーでの高地トレーニングでまた調子を落とす。 小出さんは、これまで女子マラソンランナーの月間走行距離が600、700キロが限界だった時代に有森には1000キロ近い走行距離を要求した。メダルを獲得するために目標を高く設定するのが小出流。 薄いガラス板に女子ランナーを例えたことがある。 「ギリギリまでガラスを研磨する。やりすぎたら割れちゃう。でも、それをギリギリまで磨くと、とんでもなく美しく輝く」 だが、選手は、その分、故障と背中合わせの地獄を見る。アトランタ五輪直前のボルダーの合宿では満足に走れない日々が続いた。 「有森よ。今の怪我を“せっかく”だと思え。“せっかく”試練を与えてくれたんだからと」 そう説きながらも小出さんは、勝ち気で責任感の強い有森が、代表選考で落選した人のことまでを考え、すべてを背負い込んで思い悩む性格であることを知っていた。豪快に見える反面、繊細に人の心を読める人だった。 「有森が心配だった。何か間違いを起こすんじゃないかと」 ボルダーの合宿では、有森の部屋の傍でドアを開けたまま、酒を飲みながらトレーナーと朝になるまで夜通し将棋を打った。物音や声がしたらすぐに駆け付けようと思っていたという。 選手を褒めて、おだてて、やる気にさせて、自信をつけさせるのが、小出流の人心掌握術だったが、その言葉を上滑りさせないのは、小出さんが、いつも選手を命がけで守る人だったからだ。 有森はアトランタ五輪で銅メダル。2人の壮絶な戦いは、最高のカタチで結実を見る。 小出さんは、「これからは高速時代」と、イングリッド・クリスチャンセンが1985年に記録した2時間21分06分の世界記録がしばらく誰にも破られていない時代から「2時間10分台が来るから」と予告していた。トラックでのスピード養成が、その条件だとしていた。シドニー五輪で高橋が金メダルを獲得した後には、その世界記録挑戦計画を実行し、翌2001年にタイムの出るベルリンマラソンで、高橋は2時間19分46秒の当時の世界記録を更新している。 小出さんが酔うほどに語っていたのが、選手の強化が、すべて企業任せ、指導者任せになっていた日本陸上界の体質に対する不満だった。そして、その話はいつのまにか日本の教育論に発展していた。 「押し付けたって人は伸びないのよ。面白いな、楽しいなと、指導者も一緒になって楽しむこと。マラソンのトレーニングなんて命を削るようなものなんだから。駆けっこは、面白いな、楽しいなって思わないと、やらす方だってやっていられない。根性は大事だけど、日本の教育って、そういうところが、ちょっと抜け落ちているよな」 今の社会に必要な教育哲学である。 筆者も、まだ若かりし頃。酔いに任せて「そこを変えるなら小出さんが政治家になるしかないのでは?」と、ぶつけたことがあった。 「オレみたいな酔っぱらいが? アハハ」 小出さんは豪快に笑い飛ばした。 (文責・本郷陽一/論スポ、スポーツタイムズ通信社)