初めて馬に乗ったのは5歳の夏―消えゆく遊牧文化、故郷・内モンゴルの思い出
日本の3倍という広大な面積を占める内モンゴル自治区。その北に面したモンゴル国は独立国家ですが、同じモンゴル民族の内モンゴル自治区は中国の統治下にあります。近年は目覚ましい経済発展の様子が知られる一方で、遊牧民としての生活や独自の文化、風土がどんどん失われてきているといいます。 その内モンゴル自治区出身で日本在住の写真家、アラタンホヤガさんはそうした故郷の姿を記録しようとシャッターを切り続けています。内モンゴルはどんなところで、どんな変化が起こっているのか。 アラタンホヤガさんの写真と文章で紹介していきます。
2001年に来日し、気づいたらすでに16年経った。 私は、内モンゴル高原の中部に位置するシリンゴル盟のシローンフフというところに育った。草原というより、砂漠地帯で緑豊かなオアシスがたくさんあるところである。 子供の頃は夏休みになると、シリンホト市から田舎に遊びにいくのが一番の楽しみだった。その時、私の地元では季節ごとではなく、夏と冬の二回のみ遊牧が行われていた。夏はゴゴステインゴルというオアシスの小さな川の両岸に、親戚ら7、8家族からなるホトエールというコミュニティを結成し、夏を過ごしていた。
毎朝、4時過ぎに起こされて、牛の乳絞りの手伝いやその日に乗る馬を連れてくるのが子供たちの日課だった。よく覚えているが、初めて馬に乗ったのは、5歳の夏だった。 最初の2、3日は叔父さんが私を馬に乗せてくれ、叔父さんも自分で馬に乗り、私の馬の手綱を引っ張って前に馬を歩かせていた。その後、私自身が馬に乗るようになった。幼い子供だったので、馬に乗るため、少し凹凸があるところに馬を連れて行き、そこでよじのぼって馬に乗った。
昼間は羊の番をしながら、親戚の子供たちと川遊びした。当時、子供は十何人もいた。お腹が空いたら、生ミルクから取れたジューヘ(日本でいうクリーム)を食べるのが一番幸せだった。 のんびりした空間の中、家畜と人間が夏を満喫しながら、厳しい冬を迎える準備がすでに始まっていた。 これは私の楽しい子供時代の思い出であり、その後の私の人生を大きく左右することになった。(つづく) ※この記事はTHE PAGEの写真家・アラタンホヤガさんの「【写真特集】故郷内モンゴル 消えゆく遊牧文化を撮るーアラタンホヤガ第1回」の一部を抜粋しました。 ---------- アラタンホヤガ(ALATENGHUYIGA) 1977年 内モンゴル生まれ 2001年 来日 2013年 日本写真芸術専門学校卒業 国内では『草原に生きるー内モンゴル・遊牧民の今日』、『遊牧民の肖像』と題した個展や写真雑誌で活動。中国少数民族写真家受賞作品展など中国でも作品を発表している。 主な受賞:2013年度三木淳賞奨励賞、同フォトプレミオ入賞、2015年第1回中国少数民族写真家賞入賞、2017年第2回中国少数民族写真家賞入賞など。