【コラム】BARKS烏丸哲也の音楽業界裏話036「推し活してますか?」
みなさん、推し活してますか? 先日「渋谷トレンドリサーチ」より発表された「推し活に関するトレンド調査」によると、15~18歳の男女100名において86%が推しがいると応えており、その中でも日韓アイドル、バンドやアーティスト、アニメ/ゲーム/漫画キャラが87%を占めているとか。 多くはSNSやYouTubeをチェックするのはもちろん、ライブ・イベント・舞台などに出向き、グッズやCD/DVD、雑誌・本など購入するのが推し活の基本で、SNSでの推しに関する発信やファン同士の交流にも余念がない。推し活用のグッズを作ったりメンバーカラーのグッズを集めたりするのみならず、推し本人不在の生誕祭はジャンル問わず行われている。「カラオケでライブのセトリ順に連続で歌い続ける」というもの熱烈な推し活の一環だ。 2010年代あたりから「推し」という言葉が使われ始めたけれど、そもそも「オタク」と呼ばれていた頃は、その言葉には負のイメージが付いて回り、ともするとその存在を揶揄するときに使われてきたきらいがある。いつだってオタクが時代を牽引したりするものだけれど、黎明期ゆえに世の理解を得られず世間からの当たりは強かった。ファンともマニアともフリークとも呼ばれず、ましてやオーソリティとかエキスパートなどと言われることもなかった。 でもその「オタク」がやってきたことは、いつしか「推し活」に転生し、あらゆる世代にとってごく普通の行為となった。いわゆる「何かに夢中になること」「そのためにエネルギーを注ぐこと」であり、己の生活や人生に充実やうるおいをもたらすことに直結している。そのこだわりは、他でもない自分が決めたもの。時代の価値観と相まって多様性も広がり、多くの時間と労力と金銭を費やして「推し活」に勤しむことは、すなわち自分自身のアイデンティティを示す行為にもなった。推し活の充実は、幸福度の充実に直結しているわけだ。 「推し」への知識や理解の深さによって、自分と「推し」との関係はより深くなり心理的所有感も高まっていくことになる。ファンとなった人々が末永くファンを続ける心理には「自己正当化バイアス」が関わっているとする見解もあるようで、自分が推すと決めた過去を否定するのは苦痛が伴い、「推し」への投資は続いていく。ファンダムの強さにはそんな人間心理も関わっているようだ。 さて、年齢も重ね地位のある方々に「推し活をしているか?」を尋ねると、往々にして「いやいや、してないよ」「推しなんかいない」という答えが返ってくる。そういう私も、世代の違いを言い訳にして「推し活文化は、自分にはない」と思っていた。でもね、なにかに熱中し、そこに憧れを抱き、そこに近づきたくて恋焦がし、そこにありったけのエネルギーと労力とお金を投資しちゃう気持ちが「推し活」でしょ? そういうのって、多かれ少なかれ誰にでもあったと思うのです。時代なんか関係なく。 自分を振り返って気付きました。私の「押し」はアイドルでもアニメでもなく「Fender」と「Gibson」だった。大学に入学し、入学初日にロック系サークルに入ったあの日から、私の「推し活」はスタートし、ときに浮気をしながらも「Fender」と「Gibson」にとてつもない熱量を注いできた。バイト代はすべて突っ込んだ。生活費も削った。 あんな学生生活から40年もたった今でも、私の「推し」は何ら変わらない。「Fender」と「Gibson」、それが私の「推し」です。 文◎BARKS 烏丸哲也
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