「選挙」想田和弘
僕の監督デビュー作は『選挙』というドキュメンタリー映画である。2005年、切手コイン商をしていた大学時代の友人「山さん」が、自民党公認で川崎市議会に立候補した。その選挙戦に密着した。 カメラを回しながら気づいたのは、この国の選挙制度は政策論議をするようにはできていない、ということである。 やることと言えば、選挙カーで名前を連呼し、町中の掲示板にポスターを張る。運動会やお祭りや自治会を回って顔を売る。駅前で通行人に挨拶をする。一方、候補者討論会は開かれない。 選挙とは本来、社会の課題や問題について議論し、擦り合わせ、方向性を定めていく重要な機会であるはずだ。だが、選挙がそういう場になっていないのである。先日の東京都知事選ではポスター掲示板を悪用する政党が現れ、「民主主義の破壊だ」と非難された。しかし、そもそも選挙制度が民主主義の理念と目的に沿っているかどうかを、私たちは問うべきであろう。ポスターの顔と名前とキャッチフレーズで選ぶことに、一体何の意味があるというのか。 僕が提案するのは、選挙カーもポスターも廃止して、選挙期間中、選管主催の候補者討論会を毎日開き、テレビやネットで放映するということだ。それも朝から晩まで、1日8時間くらい、うんざりするほど長時間。政策だけでなく、どういうときにどんな反応をし、どんな態度を取るのか、人となりも観察できるほど長丁場。候補者が多い場合には、小グループに分かれてやってもよいだろう。また、日ごとにテーマを変えてもよい。とにかく発言時間の公平性が問題にならないほどたっぷり時間を取って、本物の、本気の討論会をするのである。 ただし、もはやショーと化した米国型の討論会には弊害も大きいから注意が必要だ。6月27日に開かれた、バイデン氏とトランプ氏の大統領選TV討論会を見ながら、改めてそう思った。討論時間90分は、長いようで短い。トランプ氏が嘘を連発しても、ファクトチェックする時間がない。だから彼の嘘よりも、口ごもるバイデン氏の瞬発力の弱さと老いばかりが印象に残った。 問題は、討論ショーで勝つための資質は、良い政治家になる資質とイコールではないということだ。そこを勘違いすると悲惨な結果になる。だからこそ、ショーではない、本当の意味での討論会が必要なのである。
想田和弘・『週刊金曜日』編集委員