「おはよう日本」(前編)ゲストの永六輔と大江健三郎の秘話【武内陶子「今があるのは…」】
【武内陶子「今があるのは…」】#5 「おはようえひめ」「おはようきんき」を経て「NHKニュースおはよう日本」を務めるため、東京に異動したのは97年。ゲストとの秘話を語ってくれた。 「ブラタモリ」抜擢の桑子真帆アナ “金髪チャラ系”の大学時代 ◇ ◇ ◇ 記者会見で「松山局でも大阪局でも『おはよう』をやっていました」と言いましたら、「おはようの出世魚!」とスポーツ紙に書いていただきましたが、なぜ私が抜擢されたのか今もわからないんです。全国放送での地方からのリポートを東京局の方が見てくれていたんでしょうか。 当時の最長で5年務めましたが、過酷なので、たいていは3年ほどで代わるんです。朝は2時半起き。3時に家を出て3時半に局入りしてメークを済ませ、4時から打ち合わせ。 私は元気で体調不良で休んだことは1回もなかったですが、夏と年末年始の休める期間に「明日から休みだ!」と喜んだ翌日から必ず具合が悪くなってました(笑)。 ■大阪から異動して5年間で500人 5年間でインタビューさせていただいた方は500人ほど。 今日は印象に残るお二方のお話を。 永六輔さんはインタビュー中に「あなたたちは何を伝えたいのかという意思を明確に持っていますか」というようなことをおっしゃいました。 私自身いつも視聴者に伝えたい気持ちは持っていましたが、永さんに厳しく問われると「私は本当に意思を持って伝えているのか」とあらためて考えさせられました。放送後にも議論になって。 後日「あれからいろいろ考えました。ありがとうございました」と自分の考えを添えて手紙を書いたところ、返信のハガキには「本番後の慌ただしい中の言葉、気にしないでください」と書かれていました。厳しさと優しさと両方で包んでくださる貴重な方でした。 大江健三郎さんは同郷で、「坊っちゃん」に出てくる、夏目漱石が赴任した松山中学校(後の松山東高校)の大先輩。番組が初対面で、そこから何度かご一緒する機会があり、「君たちに伝えたいことば」と題して中学校で行われた、とあるフォーラムで私がMCをさせていただいたこともありました。 大江さんは子供たちに「大人と子供は続いているのだから、『今』の自分の中の『人間』を大切にしてほしい」とお話をされ、心を動かされたことを思い出します。常に子供たちの未来を考えておられました。 刊行された本を送ってくださる時は、出版社から本が送られた時の薄い段ボールでできた箱を裏返しにして手書きで住所を書き、麻の紐をかけて昔の小包みたいにして送ってくださった。 マメな方で、おしゃれに資源の再利用もされていました。丸メガネがお似合いで、どことなくかわいらしい方でもありました。 (武内陶子/フリーアナウンサー 構成=松野大介)