「前作のシン・ゴジラは邪魔でした。庵野秀明監督はとんでもないものを作って…」後続の「-1.0」を任された山崎貴監督がもらした本音
「自分がやろうと思っていたこと、全部やられてしまった」
映画「ゴジラー1.0(マイナスワン)」で日本作品初の米アカデミー賞視覚効果賞を受賞した山崎貴監督(長野県松本市出身、第31回信毎賞)。長野県上田市で開かれたトークショーや取材の中で、監督になって以来撮りたかったというゴジラ映画に対する思いを語った。 【写真】ゴジラについて語る山崎監督
ゴジラはかっこよさより「怖さ」
子供の頃、野球中継が雨で流れた際にゴジラを含めた特撮怪獣映画が代わりに放送されることがあり、見ていた。たつ年生まれということもあり、特にキングギドラが好きだった。特撮の長い歴史の中で、ゴジラは怖いものからユニークなものまであるが、初代ゴジラみたいに怖いものがいい。ゴジラには、かっこよさより怖さが重要だと考える。
阿佐ケ谷美術専門学校(東京都杉並区)に入って、当初は造形をしたかった。だがすごく出来のいい造形作品を作る先輩に出会ってしまった。後に彼は「シン・ゴジラ」(2016年)のゴジラ造形を担当するのだが、彼に出会ったことで「だめだ。自分は井の中の蛙(かわず)だった」と造形作家への道を諦め、CGの道に進むことになった。
(自分たちが使う今の)CGによる表現法は後になって登場した。後出しゆえに、先人に対して圧倒的な情報量で勝負しないと彼らが築き上げた世界に対して失礼だと考える。作業自体は昔の手法とあまり変わらない。コンピューターの中に壊れやすい建物や道をつくってゴジラを歩かせる。ぶつかったら壊れるので、コンピューター内でつくり直す。大変な手間がかかる。
自分たちの制作は何度トライアンドエラーを繰り返せるかが非常に大切。ハリウッド映画では1カットにつき200回、トライアンドエラーをする前提で予算が付けられているという。その中で、「僕たちは全くお金がなかったので、人力で…」とノミネート作品が選ばれる際のスピーチで話した。会場がどわっと沸いた。それでアカデミー賞が決まったんじゃないかな。
悲劇背負った生き物、そこが興味そそる【取材の一問一答】
―いつからゴジラ映画を作りたいと思ったか。 「監督としてデビューした2000年当時から。日本に生まれたからには、持てる力を注いでゴジラ映画を作りたかった。アメリカに生まれたらきっと、スター・ウォーズを作りたかったと思う」 ―誕生から70年。数々の監督に創作したいと思わせてきたゴジラとは一体何なのか。 「メタファー(隠喩)として非常に魅力的だ。ゴジラは、核兵器によって生み出されてしまった人類の『やらかし』を意味する。単なるモンスターではなく、悲劇を背負った生き物。そこが人間の本源的な興味をそそるところで、映画にしたいと思わせる魅力だ」
―庵野秀明監督「シン・ゴジラ」を意識したか。 「あれは邪魔でした(笑)。とんでもないものを作ってきたなとショックが大きかった。自分がやろうと思っていたことを全部やられてしまったという感じ。VFX(視覚効果)の成熟した技術を駆使した素晴らしい作品だったので、その後にゴジラ映画の話をもらった時は貧乏くじを引いたと思った。ただ今となれば、あれがあったから今回の作品も映えたと思う」