沖縄戦“終結”79年 きょう慰霊の日「平和の礎」に込められた理念とは? ~建立に携わった戦争体験者が語る~
■無数の死体…10歳で経験した沖縄戦
高山さんが平和行政に力を注いだ原点にも、10歳で遭遇した沖縄戦の過酷な経験がありました。 アメリカ軍の艦砲射撃や火炎放射で、沖縄本島北部の本部町では、集落も森も焼け野原になりました。家族とともに撤退する日本軍の後を追い、山の中をさまよった日々。無数の死体を見ても、何も感じなかったといいます。 「戦争とは、そういうもんでね。いかに無残な状況だったか」 軍人と民間人が混在していたがために標的とされた自身の体験から、高山さんは「中国の脅威」を背景に、宮古島や石垣島、与那国島など沖縄県内で進む自衛隊の配備強化に、警鐘を鳴らします。 「武力強化をして対峙するぐらいなら、同じだけの力を注いで中国と対話をしていくことが非常に重要。今の段階で止めないと、戦争の状況に走っていくと、止めることができない。我々自身が、いかにして平和の大事さを伝えていくのか」
■「礎」の思い 次世代へつないで
戦争体験者や遺族の高齢化が進み、戦没者を直接知る人が減っていく中、「礎」に刻まれた名前を読み上げる取り組みは、失われた一人ひとりの命に思いをはせ、「平和の礎」に込められた理念を発信する貴重な機会となっているとして、「集い」のメンバーらに感謝の思いを伝えた高山さん。 「名前を刻んだ石が波形に配置され、その波が太平洋に向かって平和を発信していく」という「平和の礎」のデザインにも触れながら、高山さんは沖縄の平和への思いを世界に伝え続けてほしいと訴えました。 (日本テレビ那覇支局長 佐藤拓)