「ビジネスとしてのファッション」を目指してはいけない――伝説のモデルが訴えていたファッション界の危機
---------- ファッションの街・パリでコレクション・モデルとしてデビューし、一シーズンに十数件のショーを掛け持ちするなど、文字通りのトップモデルとして活躍した山口小夜子。 モデル・俳優の冨永愛は、もっとも尊敬する存在と公言する。マツコ・デラックスは美の化身と絶賛。 【写真で見る】伝説のトップモデル・山口小夜子が語る「KANSAI」との出会い 亡くなって15年以上が経つが、いまも多くの女性がそのファッションやメイクに憧れ、模倣する。東京都現代美術館の「山口小夜子 未来を着る人」展覧会(2015年)には5万6000人もの人が来場した。 山口小夜子は、印象的な言葉を数多く残した人でもあった。 生前に残した多くのインタビューを再編集した新刊『この三日月の夜に』から、圧倒的に美しい写真と「天につながる」言葉を抜粋して紹介する。 ---------- モデルというのは 服を表現するための陰の仕事 服が主役だと思うの。モデルというのは素材や色と同じに、服を表現するための陰の仕事なんです。 ---------- MORE 1979年11月号 ---------- 長いことファッションの仕事をしていると、次にはこんなふうになりそうだなというのがわかるようになります。そんな勘が働いたら、デザイナーが発表する前に自分で流行しそうなタイプのものを着てみて動きを考えておくこともあります。そうすると、実際に新しく発表されたものを着ても、すぐに服の心がわかるし、体が自然にその服の雰囲気を出せるのです。革が流行りそうだと思ったら革を着てみる、中国風が流行りそうだと思ったら中国風なものを着てみるといった具合です。デザイナーが発表する作品はもちろんもっと洗練され、こなれたスタイルとして出てくるのですが、自分が考えていた方向と同じだった場合は本当にうれしくなってしまいます。 ---------- 小夜子の魅力学 1983年3月13日 ---------- 80年代からファッションがビジネスに。 誰でも買えるようなものしか作れなくなった 80年代から、企業がファッションをビジネスとして捉えはじめ、売れて数字につながるよう、誰でも買えるようなものしか作れなくなった。 ファッションはアートではありませんから、クリエイティビティとビジネスの両立ができるデザイナーが優秀ではあるけれども、若いうちからそこを目指すとどうしても横並びになりがちなのかな、と思います。 ---------- スタジオボイス 2002年10月号 ---------- ■こちらもオススメ 面白いと思う服には「KANSAI」のラベルが付いていた――伝説のトップモデル・山口小夜子が語る“洋服”
山口 小夜子(モデル)