「スパナマン」て誰?京都・映画村近くに現る「いちびり」「小さいおっさん」証言追った
ぴかぴかと光る額に3本のしわが深く走る。目尻を下げた表情は愛嬌[あいきょう]たっぷり。トレードマークの空飛ぶマントを羽織り、右手でスパナを握り締める。京都市右京区太秦に立つ看板に描かれたキャラクターだ。名前は「スパナマン」。車で通過する度、くせが強すぎて目を奪われていた。その正体とは-。 【地図】スパナマンの看板が見られる京都市右京区
東映太秦映画村から南へ約1キロ。四条通へ通じる府道の脇に看板がたたずむ。キャラのそばには「電話一本でとんでいきま~す!」と軽妙なキャッチフレーズ。創業して35年、バイクや自転車の販売・修理を手がける「荒井モーター商会」をアピールしていた。
看板から東へ100メートル歩くと店にたどり着く。あるじの荒井義久さん(48)が迎え入れてくれた。あなたがもしや? でも、似ていないぞ…。
スパナマンの話題を振ると、2代目という店主は、15年前に62歳でなくなった父親を懐かしんだ。「ほんま、そのまんまなんですわ」。名前は義郎さん。彼こそが、スパナマンのモデルだ。そして、一緒に店を切り盛りした義郎さんの妻成子さん(76)が、強烈な個性を持つ広告塔を世に送り出したという。
義郎さんは、1947年に綾部市で農家の末っ子として生まれた「団塊の世代」。腕一本で食べていけるように中学卒業後、左京区の車やバイクの店に住み込みで働き始めた。27歳で成子さんと結婚し、41歳の88年、現在の地で独立した。
得意客のいないゼロからのスタート。地域に浸透するための宣伝に、とマンガ好きな成子さんが考案したのがスパナマンだった。
成子さんの絵の腕前は、息子に成り代わって小学校の宿題に提出した絵が入選してしまうほど。「何カ月もかけて主人の似顔絵を描いて、ようやくできた」。モデル本人も納得の仕上がりだったという。以来、その原案を使い続けてきた。
眺めれば眺めるほど、しみじみと味わいがにじみ出る。まるでするめのようなデザインだ。創作の秘密を尋ねると、成子さんは映画「スーパーマン」をヒントにしたと教えてくれた。一方、義久さんは当時人気を博していた故・鳥山明氏原作のアニメ「Dr.スランプ アラレちゃん」に登場する「スッパマン」がモチーフでは、と異なる見解を示した。