「永田町の怪僧」と呼ばれた男はこうして生まれた…池口恵観を田原総一朗がガチンコ直撃
「靖国神社にいるよ」と死んでいった特攻隊員たち
田原 恵観さんは、鹿児島で500年以上続く、修験道のお寺にお生まれになった。子どものときから、どんな修業をしたんですか? 池口 父が護摩行をやって、その横で真言を繰っていました。 【写真】再逮捕された「美人すぎる寝屋川市議」の写真集全カット 田原 どれくらいかかるんですか? 池口 お経7巻で、4、5時間はかかります。それを毎日です。小さい時からずっとやってきて、毎日7巻ずつ、頭ではなく口で覚えてしまう感じでした。ですから、ほとんど読まずに空でやっておりました。もっと言えば、母のお腹にいる頃から、父と母が一生懸命行をしておりましたから、お腹にいるときから行をしていたようなものです(笑)。 田原 終戦の時私は11歳でした。池口さんは私より2歳下ですね。 池口 8歳で終戦を迎えました。私が生まれ育った高野山西大寺は、特攻隊の基地があった鹿屋や串良と近いんですね。たくさんの特攻隊員たちが、出撃前にお参りに来るんです。参拝したあと、私の頭をなでながら、笑顔で「坊や、大きくなったら靖国神社に来いよ。兄ちゃんたちは靖国神社におるからね」と言うんです。 出撃の日は、基地を飛び立った特攻機が、寺の上で旋回したり、翼を振ったりしながら、南の空へ消えていきました。小学生のとき終戦を迎えましたが、あの兄ちゃんたちがどんな思いで「あの世」にいるかと思うと、涙が止まりませんでした。 私が戦没者慰霊、靖国神社参拝にこだわってきたのは、この体験があるからです。 田原 私の従兄も2人戦死しています。あの戦争を体験した者として戦争は絶対にいけない、という強い思いがありますよ。戦争を知っている私たち世代が、何度でも「戦争はダメだ」と言わなくちゃいけません。 その後、大学は高野山大学に進まれた。どういうことを学んだんですか? 池口 密教や一般の仏教について学びます。ただ、私は学んでないんですよ。勉強よりも相撲と日本舞踊に一生懸命でした。相撲で疲れるから、授業時間になると寝ていました(笑)。 田原 相撲部のキャプテンだったんですよね。 池口 はい、高野山大学は強くはなかったんですが、相撲に熱中しました。大学3年生のとき全日本学生選手権で、後に大関豊山になる内田選手らとともに優秀32選手に選ばれました。勉強より相撲のほうが楽しくて、毎日相撲を取りに大学に行っておりました。だから、「相撲学部」を出たようなものです(笑)。