治部れんげ 子ども・女性支援政策から考える“失われた10年”
若者の間では共働きが当たり前
もし、この条文通りの社会が実現したら、子どもを持つことに対する不安はずいぶん和らぐだろう。そう感じたのは、同じ15年冬、熊本県立大学で仕事と家庭をテーマに講演し、大学生から意見を聞く機会があったからである。約150名の参加者の4割が男子で、7割以上が共働き家庭出身だった。「できるか分からないけれど子ども好きだから自分が家庭に入りたい」という男子学生、「お母さんが家にいてくれたから家庭に入りたい」という女子学生。一方「教育費が心配だから働き続けたい」という女子学生もいたし、両親と共に祖母を介護中の男子学生もいた。母子家庭で育った学生からは「男女共同参画というけれど、これは女性がひとりでも生きていける社会なのではないか」、父子家庭で育った学生からは「母子家庭には諸手当が出るのに、父子家庭に出ないのは不平等だ。男女共同参画というのは、どこに向かっているのか疑問」という意見が出た。いずれも生活実感に基づく的確な指摘だ。 控室では、地元の大人たちから県議会の保守性を嘆く声を聞いたが、若い世代の生活と意識は確実に変化していた。子どもを産み育て、必要なものを買うためには、共働きでないと無理という声が多かった。 都市部の若い世代の意識も大きく変わった。2023年には首都圏の女子大で150名程度を対象に女性とキャリアに関する3日間の集中講義を行った。この大学は、かつては良妻賢母を育てるお嬢様学校とみなされていたが、もはや「共働きでないと生活できない」という学生がほとんどで、主婦志望は15%に留まる。50%以上は仕事と子育ての両立を希望し、35%は一生働きたいが子どもはいらない、と述べていた。
伝わらない「子育ての楽しさ」
止まらない少子化社会の第三の問題は政策広報だろう。日本の子育て支援政策には良いものもあるが、報道されるのは問題点ばかりだ。代表格が保育園である。 約15年前、私自身が子を持つ親となり、公立保育園を利用し始めた。驚いたのは、手厚く質の高い保育が手ごろな自己負担額で提供されていたことだ。地域や世帯収入により異なるが、我が家の場合、0歳の乳児を1日8時間、週5日預けた際の月額自己負担は5万円程度だった。税金による手厚い補助があるからこそ、園を運営できる構図である。看護師と栄養士が常駐し、昼食・おやつは施設内での手作り、保育士の多くは国家資格を持つ公務員で安定雇用という恵まれた環境だった。季節の行事もあり、祖父母を迎える会まで開いてくれた。 私の母は専業主婦だったが、孫の通う保育園を見学し、「素晴らしいところだね。私も保育園を使えたらよかった」と感想を述べた。専業主婦世代の祖父母が、共働き世代の子どものライフスタイルを理解できる場を、保育園が提供してくれた。これは首都圏公立保育園の一例である。全国には各地の自然環境を生かしたり、建物や遊び場を工夫したり、独自のプログラムを提供する保育園がたくさんある。また、近年では、幼稚園の多くが預かり保育を実施しており、働く親を支えている。 保育所、幼稚園、こども園など、未就学児を預かる施設は全国に設置されており、定員は合計305万人、使用されているのはこのうち272万人分である。日本全体を見れば保育所等の定員には余裕があるが、地域により需要が異なるため、特定の地域では待機児童がいる。ただし、2017年の2万6081人をピークに待機児童は減少を続け、2023年には2680人となっている(図1)。 我が家を含め多くの家庭が、慌ただしい中でも楽しい園生活を過ごしてきた。しかしメディアは物言わぬ多数派の実情を伝えない。子育て中の親に向けた一部メディアを除くと、新聞やテレビなど、既存メディアで保育園が話題になるのは待機児童や事故など暗い話のときばかりである。もちろん、子どもの安全確保のため、虐待事例や酷い経営者について報道するのはメディアの仕事だ。私自身、そうした問題を取材して記事を書いた経験があるし、国会議員に保育の質の改善を求めて働きかけたこともある。 問題は報道内容のバランスである。既存メディアだけを見ている若い人たちに、毎日楽しく保育園や幼稚園、こども園に通っている270万人超の子どもたちのことや、園に就労や生活を支えられて、ありがたく感じている保護者の声はほとんど伝わらない。 (後略) 治部れんげ(東京工業大学リベラルアーツ研究教育院准教授) 〔じぶれんげ〕 1974年生まれ。一橋大学経営学修士課程修了。修士(経営学)。専門はメディアや政策、経営のジェンダー分析。著書に『稼ぐ妻・育てる夫』『炎上しない企業情報発信』『「男女格差後進国」の衝撃』『ジェンダーで見るヒットドラマ』などがある。