ステージ4のがんになった緩和ケア医は何を思うのか 「病院で死ぬということ」の著者山崎章郎さん、15年前に自宅で母親をみとった筆者が訪ねた
実はことし4月に山崎さんに取材を申し込むと小さな驚きがあった。山崎さんが、私の家族を覚えていたのだ。母が亡くなった翌年の遺族会で会ったのを最後にやり取りはなかったのだが、理由はすぐに分かった。母が亡くなった後、家族で山崎さんら宛てに要望書を出していたからだ。呼吸数といった医師を呼ぶために急変の目安を教えてほしいことなど、家族で気付いた点を紙にしたためて渡した。家族としては在宅の訪問診療を肯定的にとらえていて、要望書では苦言を呈したわけではない。 要望書について、山崎さんは「こちらも足りないところがあったと思い、いろいろと反省した」と話して「待つ方としては少しでも早く来てほしいという思いがある。特に夜間は1人の医師がいろんな所に行っているのですぐに移動できないこともあるのだが、思いはよく分かった」と続けた。 ▽尊厳を保ちながらどこで最期を迎えるか 山崎さんのベストセラーの著書「病院で死ぬということ」で取り上げた医療現場の状況は、この30年で改善してきた。山崎さんも在宅医療に限らず、緩和ケア病棟(ホスピス)など選択肢が増え「当時の状況と比べたら本人の意思にかなり近い支援ができるようになってきた」と語る。
いかに尊厳を保ちながらどこで最期を迎えるか。選択はそれぞれの価値観に加えて支援態勢でも変わりうる。設備の整った身近な病院を望む人も多いだろう。1人暮らしなら在宅医療をためらう人も少なくないはずだ。 内閣府の2012年の意識調査では、54・6%が自宅で最期を迎えることを希望。高齢化社会による死者数の増加に伴い、国の調査によると、自宅での死者数は05年に約13万人だったのが、21年には25万人近くにまで増加した。 それでも21年時点の死亡場所では、自宅は17・2%にとどまり、病院が65・9%と大きく上回る。これらの数字は在宅医療への理想と、現実との隔たりを表しているように見える。 今となっては母に聞くことはできないが、私にとって試行錯誤しながら在宅で母を家族でみとれたのは代えがたい時間だった。当時私は3年間の海外生活を切り上げ帰国したばかりで久々に家族と過ごすことができた。 「尊厳」というと難しく聞こえるかもしれないが、昼食は何を食べたいかなど日常のことから、どのような葬儀にしたいかなど、時間があればできるだけ母の意向に耳を傾けた。
もちろん全てがうまくいったわけではなかった。当初、在宅医療の事情をあまり知らずに著名な山崎さんに対応してもらえることに安堵し過度に期待した部分もあった。家族で衝突したのも一度ではない。だから家族の美談に仕立てるつもりもない。 それでも山崎さんらの医療チームに寄り添ってもらい、どうにか乗り切ることができた。そんな家族が旅立つ姿を間近で見届けられた時間は亡くなった母だけではなく、残された家族にも大きな意味があったと思う。