守備の要とも言うべき二遊間【張本勲の喝!!】
二遊間の名手たち
吉田[左]と鎌田の阪神二遊間コンビは鉄壁の守備力だった
二遊間というのは守備の要だ。どのポジションも大事だが、こと二遊間に関しては守備の達人が就かねばならない。そこがザルでは投手も安心して投げられないだろう。これは私の持論でもあるが、ショートとキャッチャーをしっかりと育て上げれば、その2つのポジションは10年は安泰だ。つまり、それほど難しいポジションということである。 以前にも書いたが、セカンドの名手として思い出すのは高木守道(中日)だ。今年1月に惜しくも亡くなったが、小柄ながら俊敏で堅実なプレーが光る名セカンドだった。少し古くなると苅田久徳(東京セネタースほか)さんだろう。1951年に引退されているから私はそのプレーを実際に見たことはないのだが、多くの先輩方から苅田さんの守備はうまかったと聞いたものだ。それは千葉茂(巨人)さんも同じこと。巨人一筋で56年に引退されたが、千葉さんの守備もまた達人の域だったと聞いている。セカンドはスナップスローができるのが最低条件だ。 ショートの名手を選ぶなら吉田義男(阪神)さんだ。とにかくボールを捕ってからが早かった。捕ったと思ったら、もう投げている。聞くところによると、ボールを持っている時間を短くすることを心掛けていたそうだ。それを聞いてなるほどと思ったものだ。それだけでなく守備範囲も広かった。飛んだり跳ねたり、華麗かつ堅実なプレーで“牛若丸”と呼ばれていた。プロの選手たちが吉田さんの守備練習を見に行って驚いたというのだから、これぞ本当のプロと言えるだろう。 また、ショートの名手なら必ず名前が出るのは木塚忠助さん(南海ほか)だ。木塚さんは肩が滅法強く、三遊間の深いところから何度もアウトを取っていた。木塚さんは私が東映に入団した59年に引退された。全盛期は「名人木塚の後に木塚なし」と言われたほどだった。 セカンド、ショートと分けて考えればこうして名手の名前が浮かんでくるのだが、これが二遊間となると同じチームでのコンビとなるから難しい。それでも私なりに考えてみれば・・・
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週刊ベースボール