12歳の少年が見た昭和37年 通勤地獄に負けない父 植木等さんみたいになればいいのに プレイバック「昭和100年」
この年はテレビの受信契約が1000万件を超えたらしい。もちろん僕の家でも2年前からあるし、他の三種の神器の冷蔵庫や洗濯機も使っている。これも父が通勤ラッシュを我慢して、がむしゃらに働いてくれたからだ。
戦後の復興や今の好景気も、父ぐらいの年の人たちが頑張って支えてきたのだと思うが、そろそろ少し休んでもいいのではないか。僕の好きなテレビ番組「シャボン玉ホリデー」に出ているクレージーキャッツの歌みたいに、もうちょっといいかげんなサラリーマンでもいいと思う。でも、まじめだから「無責任男」にはなれないんだろうな。
父は僕たち家族のためにもう少し郊外に一軒家を建てたいと言っている。そうなれば、ますます長い通勤地獄になってしまうので、今の団地のままでいい。体を壊して「ハイ それまーでーヨー」にはなってほしくない。
※昭和30年代から40年代前半の高度成長期を支えた日本のサラリーマンたち。一方で、そんな時代をスイスイと調子よく生きる植木等さんの「無責任男」も共感を呼び、映画「無責任シリーズ」はこの時代に30本が制作された。