「まぁ、ハッキリ言いますと嫌で嫌で仕方がなかったんです」約40年ぶりに実母と暮らした岡田美里が思い出す“同居の難しさ”
かつて“カリスマ主婦”と呼ばれ雑誌やテレビで大活躍をしていた岡田美里が介護の実母と同居することを決めたのは2018年のことだった。しかしそこでは予想もしなかった暮らしが待っていた。(全3回の1回目/ 続き を読む、 #3 を読む) 【画像】 「まぁ、ハッキリ言いますと嫌で嫌で仕方がなかったんです」と実母との同居を振り返った岡田美里 ◆◆◆
20年ぶりに訪問した山梨の家からはネズミの死骸が…
――2018年から住み慣れた東京を離れ、山梨に移住されました。お母さまの介護を考えてのことだったとか。 岡田 母は亡くなっていた父と同じくパーキンソン病だったので、いずれ車椅子に乗る可能性を考えていました。当時住んでいた東京の家が町はずれの高台にあって、家の外も中も段差や階段だらけだったんですね。東京の自宅は玄関から部屋にいくにも、部屋からリビングに行くにも階段があったので、ここで足元が不安定な母を家でみるのは厳しいと思ったんです。都内でバリアフリーのマンションも考えましたが、また新しい家を探して、新しい場所に馴染んで、ということをすると母にも負担をかけてしまうので、元々あった山梨の家に行く選択しかありませんでした。 ――山梨の家を訪れたのも約20年ぶりだったと伺いました。 岡田 子どもが小さいときにたまに行っていた以来なので、家がどうなってるのかすごくドキドキしながら、ネズミの死骸があるんじゃないかと思いながら、次女と二人で下見に行ったら、ホントにありました(笑)。当時唯一知っていた近所の方に慌てて電話して、役場の人に来て頂いて処分してもらいましたが、他の場所は掃除をすればなんとか生活できるかなって。
「すごく知ってる、けどちょっと知らない人みたい」という微妙な距離感での同居生活
――お母さまとは約40年ぶりに同居になったそうですね。 岡田 私が16歳のときに両親が離婚して母が家を出ていったので、すごく知ってる人なんですが、母にご飯を作ってあげると「あ、きゅうり好きだったんだ」とか母の好物も知らなかったですし、小さいことでもひとつひとつ戸惑いはありましたね。 まぁ、ハッキリ言うと嫌で嫌でしょうがなかったんですよ。東京を離れるのが本当に嫌だったんですが、東京の仕事も全部辞めて、二つあったアトリエも泣く泣く閉じて、東京の家も片づけて。当時、今の主人と再々婚前だったので、私は母と山梨に移住を決めて、彼は東京に残ることになりましたが、彼に移住を説明するのも勇気がいりました。もう、これは自分が乗り越えなければ次生まれ変わったときに大変なことになるっていうぐらい壮大な決意で行ったんです。 ――しかし、山梨の生活をスタートさせて1週間後にお母さまが転倒してしまって。 岡田 遠くの方から大きな声が聞こえてハッとして、母がいる部屋に行ったら見当たらない。まだ母が歩けていましたが、お風呂場に行っても居ない。トイレも居ない。「えー!?」と焦って、家の玄関から4段くらいの階段を降りると駐車場に繋がるんですが、駐車場のところで転がっていて……。血も出てるし、急いで病院に連れて行ったら骨折しているってお医者さんから言われて。 しかも母に状況を聞いたら「一人で散歩に行くところだった」って言うんです。散歩は別にいいんですけど、一人で何も言わずに出ていってしまう。母には「長いこと誰かと一緒に住んでなかったと思うけど、一緒に住む人には“ちょっと散歩に行ってくるね”とか”コンビニに行ってくるね“って言うのよ」って説明して。 ――長年別々に暮らしていた分、いろいろすり合わせが必要な場面もありそうです。 岡田 田舎の家ですから大きかったので、たとえばテレビの音が大きいとか室温が合わないといったことはなかったんですが、母は自分の意志のみで動いてきたから、私の都合もあるのよっていうのがわからないというか。自由な人だったのでその辺りが大変でしたね。 ――本来は介護をしながら山梨でもアトリエ教室も開く予定だったとか。 岡田 そう思って移住したらコロナ禍に入っちゃって。本当は東京のキッチンスタジオを借りて、そこで生徒さんたちと変わらず教室を開けたらいいなって思っていたんです。同時に山梨でも新しい生徒さんを探して自分が今までやってきたことができるんじゃないかと考えていたらコロナ禍に入って全くダメでしたね。 でも、途中から山梨で縁があってジャムを作ることになったんです。ゼロから工房を立ち上げて、保健所の許可をとるところからスタートして。今はレシピもスタッフさんに教えているので、電話一本で作れるようにはなっています。
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