宮川花子「検査数値が悪化する。センターマイクが遠ざかっていく。私はもう、あそこには立てない」
数値の悪化、「もう無理かもしれない」。センターマイクが遠ざかっていく、立てない
この部分は、本が出る直前にフリーライトチェーンの数値が上がったため、急きょ加筆したそう。「前向きにがんばろうとする気持ち」と、相反する「もう無理かもしれないという後ろ向きな気持ち」が入り混じった複雑な思いや心の機微が読んで取れます。実際、花子さん自身も……。 「今読むと、『センターマイクが遠ざかる』の一文に再発した悔しさがにじんでいます。もう一度、自分の足で立ちたいという願望と、それはもうかなわないだろうというあきらめがせめぎ合っていた時期でした。パラリンピックで活躍する選手の皆さんに感銘を受け、自分も『パラ芸人』としてやっていこうと思い始めてはいたものの、車椅子でセンターマイクの前に立って漫才をすることだけは考えられませんでした」 その思いは大助さんも同じだったよう。二人にとって「センターマイクの前に立つ」とは、「センターマイクの前に自分の足で立つ」こと以外にありえなかったのです。「車椅子でいる以上、漫才はできない」と頑な思いを抱いた花子さんと大助さんは、その後いかに? 【後編】では、車椅子に乗った花子さんが本当の意味で、自身の「パラ漫才師」を受け入れたときの心境に触れていきましょう。
漫才師 宮川大助・花子