西武・源田壮亮選手「親に最初から否定されたことは一度もない」何でも挑戦させてくれた両親から受け継いだ姿勢
【父と子、我が子の場合。】西武・源田壮亮選手
共働き家庭を支えるwebサイトとして生まれた「with class」でスタートした「父と子、我が家の場合。」。お父さんの視点による子ども、そして家族との関わり合いをインタビューする連載です。 【写真で見る】「骨折したときは、正直心が揺らいだ」WBCで負傷した源田壮亮選手 第3回目のゲストは、埼玉西武ライオンズの源田壮亮選手。日々の育児のこと、妻である衛藤美彩さんとのコミュニケーショや夫婦間で心がけていること、また2023年に大きな話題となったWBCについてもたっぷりお話を伺いました。 vol.3では、源田選手自身がどんな環境で育ったのかを聞きました。今の子育てのルーツを探ります。
僕がやりたいと言ったことは何でも挑戦させてくれた
――プロとして第一線で活躍する源田選手が、どのような子ども時代を過ごしたのか、気になる読者も多いと思います。小さい頃はどんな環境で育ちましたか? 僕がやりたいと言ったことは何でも挑戦させてくれる親だったので、のびのび育ったと思います。興味を持ったことを最初から否定されたことは一度もないんじゃないかな。塾でも習い事でも、自分がいいと思ったら「これをやってみたい」「あれもおもしろそう」と素直に伝えていました。小学3年生ぐらいのときに、“くもん”に行きたいと言い出したときも、しょうもない理由でしたが行かせてくれましたね。
――「しょうもない理由」とは……? 小学生のときはソフトボールをやっていて、水曜、土曜、日曜と週に3日練習があったんです。水曜日の練習に遅刻してくる友達がいて、理由を聞いたら「ソフトボールの前にくもんに行ってるから、時間に遅れちゃうんだ」と言うんです。当時の僕は、それをすごくかっこいいと思って、お母さんにくもんに行きたいと伝えました。何だろう、勉強が理由で習い事に間に合わないことに憧れる……そういう年頃だったんでしょうね(笑)。 ――子どもらしくてかわいいですね(笑)。念願のくもんに通ってみてどうでしたか? 頭がいい子のそばで真似をして、そのときにやるように言われたプリントなどをただ終わらせるのが目的になっちゃって、僕にはあまり身になりませんでしたね。結局、割とすぐにやめてしまったと思います。 僕が塾や習い事を「やめたい」と言ったときも、うちの親に止められることはありませんでしたが、その都度、話し合いはした気がします。「なんでやめたいの?」「これはもういいよね」などと、僕の気持ちをきちんと確認してくれていました。