壁一面の「五百羅漢」 無数の視線に射抜かれて… 聖者の見せる多様な表情
「イーハトヴは一つの地名である」「ドリームランドとしての日本岩手県である」。詩人・宮沢賢治が愛し、独自の信仰や北方文化、民俗芸能が根強く残る岩手の日常を、朝日新聞の三浦英之記者が描きます。 【画像】壁を埋め尽くす「五百羅漢」 聖者たちの視線に射抜かれ…
一瞬、身動きが取れなくなった…
見知らぬ土地に転居した際には必ず、周辺の神社仏閣を訪ねて回る。 そこには地域の歴史や人々の願いが凝縮された形で詰め込まれている。 盛岡市名須川町にある報恩寺。 土蔵造りの羅漢堂に入ると、耳が痛くなるほどの静寂さと無数の視線に射抜かれて、一瞬、金縛りに遭ったように身動きが取れなくなった。 周囲の壁をぐるりと埋め尽くしているのは「五百羅漢」と呼ばれる約500体の仏像だ。 1731年(享保16年)から4年間かけて京都で9人の仏師によって作られた。 仏像が乗っている台座はすべて箱形であり、その裏側の文字から輸送の際に用いた箱がそのまま使われている。 当初、500体が納められたとみられているが、499体のみが現存している。 木彫の上に漆が塗られ、金箔(きんぱく)が施された仏像たちは、実に様々な表情を見せている。
悟りを得た聖者
泣き、笑い、嘆き、悲しみ、怒り、苦しみ、嫉妬、いらだち……。 来訪者に向かって何かを訴えかけようとしているように見える仏像もあれば、一人居眠りをしたり、隣と楽しそうに世間話に興じていたりするように見える仏像もある。 羅漢とは悟りを得た聖者を指し、「五百」とは「多数」を意味する。 499もの聖者たちは、聖者という位に上り詰めながらも、苦しみ、悲しみ、何かに必死にもがいているようにも見える。 極楽は存在しないのか。 生きるということはそれ自体が苦行なのか。 静寂の中、聖者たちが無言で語りかけてくる。 (2022年4月取材) <三浦英之:2000年に朝日新聞に入社後、宮城・南三陸駐在や福島・南相馬支局員として東日本大震災の取材を続ける。書籍『五色の虹 満州建国大学卒業生たちの戦後』で開高健ノンフィクション賞、『牙 アフリカゾウの「密猟組織」を追って』で小学館ノンフィクション大賞、『太陽の子 日本がアフリカに置き去りにした秘密』で山本美香記念国際ジャーナリスト賞と新潮ドキュメント賞を受賞。withnewsの連載「帰れない村(https://withnews.jp/articles/series/90/1)」 では2021 LINEジャーナリズム賞を受賞した>