「目立たない人ほど、実は仕事ができる」と言われるのは、なぜなのか?
人気連載「齋藤薫の美容自身 STAGE2」。今月のテーマは「『目立たない人ほど、実は仕事ができる』と言われるのは、なぜなのか?」。 おとなしい人ほど「実は仕事がデキると言われる理由」
かつて「傲慢な人ほど仕事がデキる」イメージがあったのはなぜ?
デキる女優ほど、わがまま……かつて、そういう見方があった。逆にこんな言い方もあったほど。「彼女はいい人すぎるから、いい演技ができないんだ」。随分な決めつけだけれど、以前は本当にそんな基準があったのだ。わがままなくらいに自己主張が強くないと、いい演技ができないという方程式が。あくまでイメージ上の話だが、沢尻エリカの演技力を思い浮かべるとわかりやすいのかもしれない。 もちろんこの方程式は、ハリウッドなどではさらに顕著で、極端な話、ハリウッド史に残る女優の中で、善人だったのはオードリー・ヘプバーンくらいとの説があるほど。他者にはチャンスを絶対与えない強烈な負けん気がなければ成功できない、熾烈な競争を余儀なくされる世界だから、ただのいい人じゃ、とうていやっていけない。だから彼女は比較的若くして自ら第一戦を退き、田舎暮らしを始めてしまったのだとも言われるのだ。 ちなみに、ハリウッドに限らずエンタメ界の成功者は、とてつもない富と名声を得るうえに、まわりが信じられないほどチヤホヤするから、まともな神経ではいられなくなり、普通の人がどんどん普通ではなくなってしまうのが事の真相とも言える。まさにブリトニー・スピアーズのように。 じゃあ一般社会はどうなのだろう。もちろん職種にもよるし、立場にもよるけれど、デキる人が傲慢になりやすいのは一般社会も同じ。映画『プラダを着た悪魔』の“悪魔”のように、仕事は恐ろしくできるけれど、人としても恐ろしい、そういうモンスターが成功する時代は一般社会にもあったのだ。でも、職場での仕事ぶりと人柄の関係は今、少しずつ変わりつつある。気がつけば、「デキる人=いい人」という真逆の方程式が成り立つほどに。 時代を俯瞰してみると、仕事場における女性は、この20年間ほどで大きく大きく進化している。つまり、いくらデキても周囲から疎まれたら意味がない。周囲と協調しながら、いい仕事をしていくのは二重に貴いこと。それこそを、本当に仕事がデキるというのではないか、という考え方のもと、働く女性は進化を遂げたのだ。だから、日本の女優の評価基準も明らかに変わった。たとえば、今や綾瀬はるかや石田ゆり子といった人が各世代の女優のトップを張っている訳で、一般社会でもなかなかいないようないい人が女優として成功する、何だか今、そういう時代。つまりわがままで傲慢でなくても、いい演技はできるということの証。そんな当たり前のことが今ようやく形になってきたのだ。 一方、成功が人を狂気に追い込むような米国エンタメ界において、それでもなお、まともな神経を持ち続けられる人しか、結果的には生き残れない事実もある。 たとえばビヨンセ。今年、グラミー賞の史上最多受賞を記録、第一線にい続けている奇跡のアーティストは、大胆なパフォーマンスやコスチュームからは想像がつかないほど、シャイで生真面目、普段は礼儀正しく控えめで、男性経験も今の夫であるジェイ・Zたった一人とも言われている。一般女性よりも地味な性格の人であったりする。 また、アカデミー賞の最多ノミネート数を競うメリル・ストリープとケイト・ブランシェットも、極めて知的で曲がったことが嫌い、子だくさんで夫一筋だったりするところもよく似ている。 結局のところ、長く長く第一線で活躍するためには、まともないい人でなければ無理、という方程式が出来上がる。冷静に考えれば至極当たり前のことなのに、ようやくその常識に世の中が行きついたのだ。