「ビール買うてきたで! あっ…」鬼の指揮官・広岡達朗にバレても飲酒を続け…伝説のヤクルト初優勝“代打の切り札”はなぜ広岡に信頼されたのか?
「グラブは返してくれ」「このオッサン、ケチやなぁ」
勝負強いバッティングを評価されて「伊勢大明神」と名づけられていた。現役晩年が近づいてはいたものの、「まだまだ自信があった」と伊勢は語る。こうして、広岡自ら西本と交渉して、トレードが決まったという。 「当時、ファーストには大杉(勝男)がおったから、広岡さんには“サードもできるようにしてくれ”って言われて、真新しいグラブをもらいました。キャンプ中はずっと練習していたんだけど、開幕2週間前ぐらいに広岡さんに呼ばれて、“どうだ、サードは? ”と聞かれたので正直に、“しんどいので、もうええです”って言うと、“じゃあ、グラブは返してくれ”って。“えーっ、くれたんちゃうんですか? ”って言っても、“いや、返してくれ”って。“このオッサン、ケチやなぁ”って思いましたよ(笑)」 この頃、サードには同じくベテランの船田和英がおり、若手の角富士夫も頭角を現しつつあった。スワローズが日本一に輝いた78年、角が台頭し、レギュラーとしてのきっかけをつかむことになる。伊勢は続ける。 「それで、広岡さんからは“代打でいいか? ”って聞かれたので、“しんどいから、代打がいいです”って答えましたね(笑)」
敬意と親しみ――伊勢と広岡の「奇妙な関係」
この年、伊勢は代打の切り札として印象的な一打を何本も放っている。若松、大杉、杉浦、さらにはチャーリー・マニエル、デーブ・ヒルトンが並ぶ超強力打線において、右の代打には伊勢が、左の代打には同じくベテランの福富邦夫が並ぶ。ベンチに控える伊勢の存在は相手投手陣にも心理的プレッシャーを与えることになった。 「でもね、広岡さんは意地が悪い。ワシはシュートが大嫌い。なのに、平松(政次・大洋)とか、西本(聖・巨人)とかシュートピッチャーのときばかりピンチヒッターに行かされる。いつも“ぶつけられる前に打ったれ”という心境で1球目から打っていたよね」 伊勢が話す内容はいずれも、広岡に敬意を払いつつも、ある程度の対等な関係性を築いているからこそ生み出される和やかな雰囲気がよく伝わってくる。明らかに、パ・リーグから移籍してきた大ベテランと広岡との関係性は、これまで本連載において聞いてきた生え抜きのスター選手たちとは、またひと味違うものだった。伊勢と広岡との関係について、さらに掘り下げていきたい――。 <伊勢孝夫編第2回/連載第30回に続く>
(「「広岡達朗」という仮面――1978年のスワローズ」長谷川晶一 = 文)
【関連記事】
- 【続きを読む/#2】長嶋茂雄が「どうしてこんなことばかり」と嘆いた大乱闘…堀内恒夫からの顔面死球で「バッターとして終わった」ヤクルトの大明神・伊勢孝夫の告白
- 【続きを読む/#3】「人に迷惑かけてへんやないか。汚い真似をするな」広岡達朗の参謀に激怒…伊勢孝夫が明かす“優勝翌年、ヤクルト崩壊”のウラ側「やり方が陰湿すぎた」
- 【続きを読む/#4】「広岡さんとノムさんに共通しているのは…」タイプは違えど二人は“似た者同士”だった?「広岡達朗と野村克也を知る男」伊勢孝夫がホンネで語る名将論
- 【貴重写真】鬼と呼ばれた広岡達朗「笑顔でもちょっとコワい…」監督時代のレア写真。ヤクルト初優勝“代打の切り札”の「俳優並にシブい現役時代」「79歳になった現在の姿」も見る(全15枚)
- 【連載初回/若松勉編も読む】「お前なんか他の球団に行ったら…」広岡達朗はなぜ若松勉に厳しく接したのか? “ミスタースワローズ”を発奮させた「缶ビール事件」の真相