小山内美江子さん「伝えたいことは全て役を通して鉄矢にしゃべらせた」金八先生脚本家 94歳大往生
TBS系「3年B組金八先生」、NHK大河ドラマ「徳川家康」などを手がけた脚本家・小山内美江子(おさない・みえこ)さんが2日朝、老衰のため、横浜市内の病院で亡くなった。94歳。長男で俳優の利重剛(61)が10日、公式サイトで明らかにした。葬儀は家族葬で営まれた。喪主を務めた利重は同日、スポーツ報知の取材に応じ「すごく穏やかな顔で、本当に亡くなっているのか不思議に思うくらいでした。大往生です」と語った。 社会現象を起こした昭和のヒットメーカーがまた一人天国に旅立った。利重はスポーツ報知の取材に「まさか亡くなるとは思っていなかった。調子が悪くても持ち直してきた母だったので。10日前まで、せんべいをバリバリ食べてました。最期は主治医の先生とともに家族でみとりました」と振り返った。ひつぎには生前好きだった色とりどりの花を入れたという。 公式サイトも更新。「やりたいことをやり、言いたいことを言い、多くの人々に愛された、幸せな人生だったと思います」と感謝をつづった。葬儀は家族3人で営んだ。納骨は「故人の希望により、京都・常寂光寺にある女の碑(志縁廟)に合祀(ごうし)させていただく予定です」。お別れの会は予定していないという。 小山内さんは戦火をくぐり抜け、高校卒業後、1951年に東京スクリプター協会会員として映画製作に参加。当初は映画監督を目指したが、62年にNHKテレビ指定席「残りの幸福」でシナリオライターとしてデビューした。 脚本家としての転機は1979年。NHK連続テレビ小説「マー姉ちゃん」と俳優・武田鉄矢主演のTBS系連続ドラマ「3年B組金八先生」がヒットした。 特に「金八先生」は放送期間32年・全8シリーズという長期作品で、「水戸黄門」「渡る世間は鬼ばかり」とともに、TBSを代表するドラマに。小山内さんは第7シリーズ(2004~05年)の途中まで脚本を執筆。校内暴力、不登校、性同一性障害など時代性のあるテーマを取り上げ、「腐ったミカンの方程式」「十五歳の母」の回は大きな話題となった。小山内さん自身も思い入れは強く、本紙のインタビューに「私の伝えたいことは全て役を通して鉄矢にしゃべらせた」と明かしていた。 60歳から海外でボランティア活動を始め、国際的な教育支援活動に尽力。NPO法人「JHP・学校をつくる会」の代表理事を務め、カンボジアを中心に約400棟の学校を建てるなどの活動に携わった。 18年にはエッセー「終活なんてまだまだ早い! 人生は還暦から!」を発表。「頭の中には常に作品の構想はある。若い子が主人公の物語。どこかで出せれば」と意欲をみせていた。 近年は病気とけがとの闘いだった。18年末、心不全で緊急入院。翌年3月には脳を包む膜と脳の表面の間に血液がたまる慢性硬膜下血腫を患い、ドリルで頭蓋骨に穴をあけた。同年7月には転んで背中を圧迫骨折。10月には再び転倒し、大腿骨頸部(右太もも付け根)を骨折。ボルトを埋め込む手術を受けたが、週5回のリハビリで驚異的な回復を見せていた。 ◆小山内 美江子(おさない・みえこ)1930年1月8日、横浜市生まれ。神奈川・鶴見高等女学校卒。51年、東京スクリプター協会会員として映画製作に参加。62年にNHKテレビ指定席「残りの幸福」でシナリオライターとしてデビュー。TBS系「3年B組金八先生」やNHK大河ドラマ「徳川家康」「翔ぶが如く」などを手がけた。
報知新聞社