縄文の怪物か? 曼荼羅か? 岡本太郎が太陽の塔に込めたメッセージとは?
1970年、大阪千里丘陵で開かれた日本万国博覧会(大阪万博)のシンボルとなった岡本太郎(1911-1996)が制作した「太陽の塔」。2018年3月から48年ぶりに太陽の塔の塔内展示(生命の樹)の公開が始まり、再び脚光を浴びている。その巨大な塔はいったい何なのか? その謎に迫る、ドキュメンタリー映画『太陽の塔』が29日から公開される。 監督を務めたのは日本を代表する映像クリエイターの関根光才(こうさい)氏。初めて挑んだ長編ドキュメンタリーだというが、その手法は通常のイメージとは異なっている。 当時の万博を大写しにするノスタルジックな場面も登場するが、描いているのは太陽の塔と岡本太郎の「いま」だ。本作の大半を占めるのが、岡本太郎に影響を受けた人々など総勢29人に対するインタビューの場面。彼らは自分の言葉で太郎を、そして太陽の塔を語る。芸術としての観点からだけではなく、社会学、考古学、民俗学、哲学などさまざまな角度からそれぞれの思いが語られ、それを丁寧にモザイクのように組み合わせている。時折、何もない大地にそびえ立つ太陽の塔とそれを見上げる縄文の少女の映像が、インタビューのリズムを気持ちいいほどに破壊していく。大阪万博から6年後に誕生した監督の描く『太陽の塔』とはどんなものなのか?
太陽の塔は、現代にどういう意味を持っているのか?
ーー関根監督の初の長編映画となる「太陽の塔」の企画のコンセプトとは、どのようなものなのでしょうか? 関根監督:「日本人とアートの関係性」とか「現代にどういう意味を持っているのか」など、これからの話をしていきたいというのがベースにありました。なぜ現代に(この映画を)つくるのか? 岡本太郎や万博について勉強し始めてみると、岡本太郎は当時、かなり何かに疑問を持っていたから、これを創ったのだろうと思いました。万博をやる時代に人間がみんな経済とか、未来とかばっかり見ていて、自分の足元を見ていない時代だったんですよね。それで、やっぱり「これ、大丈夫?」っていうようなクエスチョンがあったから、(太陽の塔は)ここに立っているんだろうな、と。その疑問っていまもずっと続いているんじゃないかな。経済成長とかいろいろあって、どんどんどんどん発展していったけれど、原発事故みたいなのがあって、それでもまだずっと岡本太郎が考えた日本人に対する問い掛けっていうのは、けっこう綿々とずっとあるんだなと思って。それでこういう映画が現代にあったらいいんじゃないかな、と思いました。