『光る君へ』を見ても当時の“普通の日本人”のことは分からない…文字を書き、読む能力は「エリート」に独占されてきた…!
戦後も文化を独占してきたエリート層
「平安時代の人々」と言われたときに、『源氏物語』に描かれたような平安貴族を想像する人々は多いだろう。現在放映中のNHK大河ドラマ『光る君へ』も平安時代が舞台だが、現れるのは紫式部をはじめとした貴族である。 【一覧】ずっと続いてほしい…長寿番組ランキング「意外な順位」はこちら! しかし、平安貴族によって平安時代のイメージを作り上げていいのだろうか? 歴史学者の本郷和人によると、当時の貴族の総数は500人程度で、一方、日本列島には1000万人ほどの人間が住んでいたという(※1)。つまり貴族は当時の「日本人」の0.005%程度にすぎない超・超・超例外層である。 そんな超少数派ばかりをもって平安時代を代表させることには明らかに無理があるが、その無理がずっと行われてきたのは、貴族ではない圧倒的大多数の「普通の日本人」の生活やものの考え方が可視化できないからだ。彼らは紫式部のようにものを書くことができなかったためである。 前に書いたように、文章を書いたり読んだりする能力は、社会の例外的上層だけの特権だった。明治時代初期でさえ大半の日本人が読み書きできなかったということは、日本の歴史のほとんどにおいて、「普通の日本人」は自らの考えや見聞きしたことを後世に残せなかったことを意味している。つまり可視化されやすい文化は超エリートのもので、「普通の日本人」は見えない存在であり続けたのだ。 その事情は、識字率が伸びた近代に入っても根本的には変らない。本を書いたり新聞に寄稿したりして自らの考えを社会に対して示せる、つまり可視化される人間は、社会の最上層のエリートに偏ってきた。
本を書くのは「高学歴」
たとえば書籍の年間発行点数は、敗戦直後は1万点強だったが、1971年には2万点を超え、ピークの2010年代に8万点に達してから微減に転じ今は7万点を切っている(※2)。つまり、1年のうちに本を出す著者は、多くても2万~7万人程度しかいなかったことになる(さらに、ここでいう点数にはいわゆる自費出版の本も含まれるため、商業出版された本に限ればさらに減る)。 日本人は1億2500万人ほどいる。未成年を除き、かつ出版点数が多かったここ20年ほどに限っても、1年のうちに本を出せる人間はせいぜい1000人に1人にすぎない。1人で何十冊も出す売れっ子作家も少なくないし、一生のうちに本を世に出す機会に恵まれた日本人は極めて限られた存在である。 そして、書店に行けばよくわかるように、本の著者たちは作家や学者、ビジネスで成功した著名人など、明らかに高学歴層に著しく偏っている。 もっとも、作家にあまり「エリート」のイメージを持たない者も多いかもしれない。彼らはしばしば放蕩生活を送ってきた(ことになっている)し、貧乏であったらしいエピソードを隠さない作家も多い。 しかしそれは、圧倒的大多数の、可視化されない「普通の日本人」の存在を無視した不正確な印象である。 明治から昭和前半にかけて活躍した代表的な作家たち(ここでは全集があることが基準になっている)の出自を調べた山内乾史の研究によると(※3)、作家たちの階層は強くエリートに偏ってきた。