「巨人移籍」が濃厚だった阪神・大山は残留へ FA宣言後に悩み続けた結果、愛するチームにとどまった“漢”たち
実は阪神移籍が現実的だった「ハマの番長」
今季日本一を達成したDeNA・三浦大輔監督も、横浜時代の2008年オフ、阪神からのラブコールに心が揺れたが、最終的に思い直し、残留を決めている。 同年、2度目のFAの権利(最初の2002年は行使せず)を取得した三浦は11月17日、「これまで悩みましたが、年齢的(34歳)にも他球団の話を聞く機会も最後となる。後悔はしたくない」としてFA宣言した。 4年ぶりV奪回を狙う阪神が先発の柱として獲得に動き、横浜の3年総額8億円を上回る3年総額10億円以上の好条件を提示した。三浦は関西(奈良県)の出身であり、父が岡田彰布後援会のメンバーだったこともあり、子供のころから阪神ファン。岡田監督はV逸の責任をとって同年限りで辞任したものの、02年以降の7年間で最下位5度と低迷する横浜を出て、阪神に移籍すれば、優勝を狙えるだけに、移籍は確実と思われた。 「一生で一番頭を使った」ほど悩みに悩んだ三浦だったが、FA宣言以降、自身のブログには6000件以上のファンの声が寄せられ、その大半は残留を熱望するものだった。さらに11月23日のファン感謝デーでも、スタンドのファンから「阪神に行かないで」「最後まで“ハマの番長”でいてくれ」などの声が絶え間なく送られた。 ファンの声を真摯に受け止め、「『強いチームに行って勝つ』のではなく、『強いチームに勝つ』のが、三浦大輔の生き様じゃないのか?」と思い当たった三浦は11月30日、「横浜が好きだから」と残留を発表。2016年の現役引退までベイスターズひと筋を貫き、16年後に“日本一監督”の栄誉を手にした。
夢の中にチームメイトの顔がドアップで現れて
近年では、ヤクルトのエース・小川泰弘も2020年オフにFA宣言後、日本ハム移籍を思いとどまり、残留を決めている。 同年、FA権を取得した小川は、チームが2年連続最下位と低迷するなか、8月15日のDeNA戦でノーヒットノーランを達成するなど、チームでただ一人二桁勝利(10勝)を記録すると、「野球人生の分岐点。新しい環境で挑戦したい気持ちもある。残留するにしても、しないにしても、納得して来年以降の野球人生につなげたい」として、12月4日にFA権を行使した。 これに対し、有原航平のポスティングによるメジャー移籍が確実になった日本ハムが、先発の柱として獲得に動く。小川も複数回交渉を重ね、「リーグを変えて戦いたい」と日本ハム移籍に気持ちが傾きかけたが、そんな矢先、夢の中に新主将に就任したチームメイト・山田哲人の顔がドアップで登場、ビックリして跳ね起きたことがきっかけで、「このチームでまた優勝したい」という気持ちが強くなった。 衣笠剛球団社長から「一緒にやろう。まだあきらめていないよ」と声をかけられたことや高津臣吾監督らの熱意も決め手になり、12月25日、4年総額7億5000万円で残留を発表。「私、小川泰弘は、スワローズの一員として日本一を目指して戦うことを決断しました」の決意は、翌21年の20年ぶり日本一達成により、結実することになった。 くしくも今回紹介した3人は、FA残留後にいずれも選手、監督として日本一を実現している。大山も続くことができるだろうか。 久保田龍雄(くぼた・たつお) 1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。 デイリー新潮編集部
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