エリック・ロバーツ、娘エマ・ロバーツとの関係喪失が人生で一番辛かった
エリック・ロバーツにとって、娘エマ・ロバーツとの関係断絶が人生で一番堪えたことだったという。1991年に元恋人ケリー・カニンガムとの間にもうけたエマだが、当時薬物依存症だったため親権を失ったエリック、1995年以降はしらふを貫いている。 そんなエリックは祖父となったことで、自分の娘との間に失ったものがどれほど大きかったかを実感したそうだ。 継子の子供やエマの3歳の息子の祖父であるエリックは、ポッドキャスト『インサイド・オブ・ユー』で人生で一番大変だったことを聞かれこう答えている。「娘との関係を失ったことだろうね。痛みじゃなくて、人間であるが故に、私たち全員が永遠に持ち続ける、誤解に関する悲しみといったものだ。」 さらに、一番年上の孫がエマに似ているそうで、「孫が生まれて自分自身について受け入れ始めた。特に5歳になる孫は最初に生まれた孫で女の子なんだけど、とても私に好意を寄せてくれた」と続けた。 最近回顧録『ラナウェイ・トレイン:オア・ザ・ストーリー・オブ・マイ・ライフ・ソー・ファー』を発表したエリック。同本にエマとの疎遠の詳細が書かれているほか、自身の薬物依存症が妹のジュリア・ロバーツとリサ・ロバーツとの関係にも影響を与えたことを認めてもいた。「私の周りにいることが危険だった頃、彼女らがPTSDに苦しんでいたとしても驚かない。リサとジュリアは愛と保護が必要だったのに、代わりに恐怖と不安があった」 エリックとケリーの破局当時、ジュリアは兄の薬物依存症を理由に裁判でケリーの味方をしていた。詳細こそ同本で語らなかったエリックだが、ジュリアの判断が正しいと認めており、こう綴ってもいる。「私はジュリアの兄、そしてエマ・ロバーツの父として残りの人生を生きていくのだろう。誇りを持ち、潔く身を引きたいと思っている。それがこの本を書いた理由だ」 1992年にイライザ・ガレットと結婚したエリックは、自身の不遇な子供時代についてもオープンにしており、父親ウォルター・ロバーツが酒を飲み暴力を振るう人間で、虐待を受けながら育ち、自分のキャリアにも嫉妬する「めちゃくちゃな人」だったことを明かしつつ、今はそんな父親と折り合いをつけ、その影響が自分の中にあることを恥じたりもしたと同本で綴っている。