初参戦のJ2で12位。藤枝MYFCを率いる熱血指揮官・須藤大輔の原点と哲学「誰もやったことがないサッカーをする」
鳥取で監督キャリアをスタート
初参戦の2023年J2で12位と大健闘し、主導権を握るサッカースタイルで見る者を魅了した藤枝MYFC。シーズン中には渡邉りょう(→C大阪)、久保藤次郎(→名古屋)という2枚看板をJ1クラブに引き抜かれ、キャプテンの杉田真彦がシーズン序盤に怪我で長期離脱を余儀なくされながらも、清水エスパルスなど上位クラブを撃破。底力を見せつけた。 【PHOTO】編集部が厳選! ゲームを彩るJクラブのチアリーダーを一挙紹介! 元日本代表FW柿谷曜一朗(徳島)が「あれだけ選手たちが伸び伸びやっている藤枝みたいなチームは、クラブとしての未来がある。それだけ魅力的なサッカーをしている」と絶賛したほど、大きなインパクトを残したと言っていい。 そのチームをけん引するのが、2021年夏から指揮を執る須藤大輔監督だ。 現役時代は水戸ホーリーホックを振り出しに、湘南ベルマーレ、ヴァンフォーレ甲府、ヴィッセル神戸、藤枝の5クラブでプレー。2010年に現役引退し、Jクラブの監督となったのは、2018年6月のガイナーレ鳥取が最初だった。 J指揮官に至る道のりを、次のように振り返る。 「引退直後から2014年まで山梨学院大学サッカー部の指導をしていたんですが、JFA公認S級ライセンスを取ろうと決意。大学の指導を辞めて、2015年にはそちらに力を注ぎました。同期には元日本代表の宮本恒靖さんや福西崇史さん、三浦淳寛さんらがいて、大きな刺激を受けました。 僕は桐光学園から東海大学を経てJリーガーになったのですが、プレーヤーとしてはトップに行けなかった。J1制覇の経験もないし、日本代表にもなれなかった。桐光の1つ下には中村俊輔がいましたけど、彼みたいなキャリアは全然送れませんでした。だからこそ、指導者になって大きな夢を追い求めたいと思い、S級取得にこだわったんです。 とはいえ、S級を取ってもすぐに監督の仕事に就けるわけじゃない。そこで自分でサッカースクールを立ち上げ、解説の仕事を並行して手掛けるようになりました。それを3年近く続けていた2018年、鳥取の吉野智行強化部長から突如として連絡があり、監督就任の打診を受けた。すぐに返事をして、未知なる地へ赴いたのが始まりです」 当時の鳥取は森岡隆三監督が解任され、後任探しが急務だった。そこで吉野強化部長は湘南時代の同僚で、熱血漢の須藤監督に白羽の矢を立てた。J指揮官としては未知数だったが、彼の情熱があればクラブを変えられると確信したのだろう。 「鳥取へ行ってみると、選手もメディアも『誰だ、お前?』という雰囲気が少なからずありました。僕は最初のミーティングが大事だと思い、『俺は何を言われても構わないけど、自分たちは超攻撃サッカーを見せたい。諦めずに戦い続ける姿をピッチで表現するんだ』と40分にわたって熱っぽく語り続けたところ、みんなの顔色が変わったように感じられた。それが監督第一日目でした。 僕も失うものは何もなかったし、J2昇格を目ざして突き進むだけだった。最終的には3位に終わって上がれなかったんですけど、この半年で本当に多くのことを学ばせてもらった。貴重な経験になりましたね」
【関連記事】
- 「J2やJ3の環境がものすごく悪い」吉田麻也がJリーガーの“最低年俸”導入を訴える「親御さんたちは、本当に気持ちよく送り出せますか」
- 「走れない闘えない努力もしない口先だけは立派な史上最低イレブン」刺激的な横断幕と大ブーイング。異様な雰囲気に包まれた大宮アルディージャの最終戦セレモニー
- 「待ってました!」藤枝、須藤監督の続投発表にファン歓喜!J2初挑戦で残留に導いた指揮官が4年目へ「ある意味、最高の補強」
- 「アジアサッカー界の恥」ACLの衝撃大乱闘はなぜ起きた? 元Jリーガーの“侮辱発言”が原因と中国報道
- 「絡みが最高すぎる」「エンドレスで見れる」三笘薫×デ・ゼルビ監督の激熱シーンが話題!もはや定着?カオルを巡る発音も注目