「自分のプレーで誰かを支えられたら」車いすテニス三木拓也・小田凱人を救った国枝慎吾の存在
テニス女子日本代表監督の杉山愛さん、車いすテニスプレイヤーの三木拓也さん、プロ車いすテニスプレイヤーの小田凱人さんが『ボクらの時代』で鼎談。 【写真】杉山愛、三木拓也(車いすテニスプレーヤー)、小田凱人(プロ車いすテニスプレーヤー )の写真を見る 35歳の三木選手はパラリンピックに3大会連続出場し、世界ランキング11位を誇る実力者。 18歳の小田選手は2023年、史上最年少でグランドスラムを制覇。 世界ランキング1位(収録時)になるなど、今、最も注目される若手選手の1人です。 そんな2人が、女子テニス界のレジェントの杉山さんを交え、車いすテニスを始めたきっかけを語りました。
三木・小田、車いすテニスのきっかけは「国枝慎吾」
小学3年生で骨肉腫(骨に発生するがん)にかかり、車いすの生活になったという小田さん。 車いすテニスとの“出会い”は、2012年のロンドンパラリンピックだったといいます。 小田: (車いすテニスを)勧められたというよりも、バスケや陸上、水球とかいろいろ見ましたけど、ロンドンパラリンピックで国枝さんを見て、車いすテニスを始めました。 (国枝慎吾:グランドスラム車いす部門で男子歴代最多の計50回優勝。2023年に世界ランキング1位のまま現役引退) 車いすテニスをやりたい半分、国枝さんがカッコイイ半分みたいな。 なんなら国枝さんがカッコイイの方が大きかったかな(笑) 杉山: (国枝さんの存在は)大きいよね~! 一方、高校生のときに公式テニスを本格的に始めたという三木さん。 しかし18歳のとき、左足に小田さんと同じ骨肉腫が見つかったといいます。 三木: 18歳という年齢もあったのか、『死ぬかもしれない』ということにリアリティがあった。 そんな三木さんを救ったのは、小田さんと同じく、国枝慎吾さんでした。 三木: 僕は北京パラリンピック(2008年)の国枝さんを見て、車いすテニスというのを忘れるくらい、スポーツとして見ている自分がいた。 「もう一度テニスができる」と思ったところからの回復力がすごかったんです。 そういう力がスポーツにはあるなと思った。 国枝さんに力をもらえた…自身の経験から三木さんは「自分も誰かを支えられたら」と思うようになったといいます。 三木: 今年の2月に島根にいる小学4年生の子供が、僕ら(小田さんと三木さん)のウインブルドンのダブルスを見て、車いすテニスを始めたというのを自分の主治医から聞いたんですよ。 (その子は)同じ主治医で同じ病気だったんです。 その話を聞いて、車いすテニスを始めた頃の夢がちょっとかなったような気がして、すごくうれしかった。 これからも恩返しできたらなと思います。 自分がプレーすることで、誰かの支えになれたら…そんな三木さんの話を聞き、 杉山さんと小田さんは、何度もうなずいていました。 (『ボクらの時代』 2024年5月26日放送より)
ボクらの時代