モーリーの警鐘。ネットレビューへの依存はわれわれから何を奪っているのか?
『週刊プレイボーイ』で「挑発的ニッポン革命計画」を連載中の国際ジャーナリスト、モーリー・ロバートソンが、アメリカで噴出した書籍レビューサイトの問題をきっかけに、現代社会の「レビュー依存」の危険性を考える。 * * * アメリカで書籍の売り上げに大きな影響力を持つブックレビューサイト『Goodreads』で昨年12月、大騒動が勃発しました。新人作家が複数の成り済ましアカウントを使い、自身の作品を絶賛する投稿や、他作品をこき下ろす投稿を続けていたことが判明したのです。 同サイトでは以前から書籍や著者を不当に攻撃する"レビュー爆撃"が問題視されていたこともあり、サイトの運営・管理に対する批判も噴出しました。 書籍のみならず、今や多くのジャンルに存在するレビューサイトは、当初は「業界に染まった評論家らの主観より、多くの生の声による集合知こそが本当に選ぶべきものを選ぶ」という"草の根民主主義"的な思想に支えられ台頭しました。ただサービスが拡大していくにつれ、「ランキングやアルゴリズムは放置しておくから、勝手に盛り上がってくれ」という運営側の本音があらわになってきた。 このスキームの利点は人件費がべらぼうに安く済むことと、あらかじめユーザーの「同意」を得ておけば、書き込み内容に対する運営者の法的責任を相当程度回避できることです。これはある種、2ちゃんねる(現5ちゃんねる)やイーロン・マスク買収後のTwitter(現X)のやり方にも近い。 個人的にはそんな無責任なサービスに大きな信頼を置くべきではないと思いますが、それだけ「お金も時間もかけずに失敗を回避したい」人が多いのかもしれません。 この話に関連して、記憶のかなたに追いやっていた私自身の気恥ずかしい過去を思い出しました。 私はハーバード大学を卒業したての頃、文化人類学者・中沢新一氏の書籍『雪片曲線論』に出会いました(雪片曲線とはフラクタル曲線を指します)。ハーバードで要求され続けた厳格な論証の手順を逸脱しながら、なおかつ説得力を帯びた文体を読み進めるうちにぐんぐんと引き込まれ、なんとも言えない解放感を味わい、感銘を受けたのです。