【ひとりKinKi Kidsとの呼び声も】滝沢秀明を「小さなジャニーさん」にした衝撃の生い立ち
堂本光一への「あこがれ」
滝沢秀明は〈小さなジャニーさん〉と呼ばれていた。芸能活動を引退して、ジャニーズ事務所の副社長を務めるよりはるか前のこと。13歳でジャニーズ入りして、中学生でJr.のリーダーだった頃からだ。まさに〈ジャニーズの申し子〉である。 【秘蔵写真】す、すごすぎる……! バキバキの腹筋を見せつける若き日の滝沢秀明! ジャニーズ・アイドルの「あるある」を考えてみたい。 〈姉が勝手に事務所へ履歴書を送った〉というやつである。KinKi Kidsの堂本光一・剛、両者の姉が同時期に送っていたことは有名だ。さらには滝沢とタッキー&翼を組んだ今井翼もまた、姉が事務所に応募している。 まず、姉がいる弟であること。これが重要なのだ。たとえば嵐では、大野智、二宮和也、松本潤の3人に姉がいる。幼い男の子が、自発的にジャニーズに入りたい、と望むのは稀だろう。たいていはサッカーや野球、バスケなどスポーツ選手に憧れるのではないか?(滝沢秀明はプロレスラーになりたかったという) まず、姉がいて、その姉がジャニーズのアイドルのファンであった。そうして、ある日、自分の弟がジャニーズに入れるのではないか? と気づくのだ。これを〈ジャニーズ姉弟連鎖の法則〉とでも名づけたい。 滝沢秀明にも姉がいた。KinKi Kidsのファンだったそうである。姉が勝手に履歴書を送ったわけではない。KinKiのライブから帰ってきた姉が「秀明ぐらいの男の子がバックでたくさん踊っていたよ」と伝えたのだ。それを聞いて、自身で履歴書を送ったという。’95年4月にオーディションを受け、その翌月には『ミュージックステーション』でKinKi Kidsのバックで踊っていた!? すごい。姉の言葉を即座に実現した、優秀な弟だったというわけである。 タッキー&翼の今井翼が滝沢の家へ遊びに行ったら、部屋の一面に堂本光一のポスターが貼られていて驚いたという。光一に熱烈に憧れていた。「もし女性だったらジャニーズの誰とつき合いたい?」と訊かれ、即座に「僕は堂本光一くんですかね」と答えている。 しかし、“タッキー”というその愛称を考えたのは、実は堂本剛なのだ。最初は嫌だったそうだが、やがてそれを受け入れ、“タッキー”は万人に愛される称号となった。 ◆東山紀之とも重なる「生い立ち」 堂本剛はジャニー喜多川に「ユーは、天才だよ!」と絶賛された、いわゆるオキニ(お気に入り)だ。滝沢秀明は、剛以来のジャニーのスペオキ(スペシャルお気に入り)だといわれている。 他方、堂本光一は「ユーは、最悪だね」とジャニーに冷たくされた。光一は悩み、自らの道を模索する。それはジャニー喜多川の最大の夢、ステージで歌い踊る少年たちを輝かせること――やがて舞台演出や座長を務めることになった。 それを受け継いだのが、滝沢秀明である。Jr.のリーダーから『滝沢歌舞伎』の座長へ。憧れの光一の後を追っている。堂本剛以来のジャニーのオキニであり、かつ堂本光一の資質を受け継ぐ。つまり滝沢秀明はKinKi Kidsの両者の才能を、たった一人で体現しているのだ。 幼い頃に両親が離婚して、父親が家を出ていった。その後、母と暮らす。ひどく貧しい生活で、食べるもの、着るものにも困窮したという。こんな滝沢秀明の壮絶な生い立ちは、ジャニーズファミリーの「長男」、東山紀之の幼少期を想起させる(自伝『カワサキ・キッド』で赤裸々に告白していた)。 東山は3歳の時、両親が離婚して、父親の顔も名前も知らないという。極貧生活から脱出するため、ジャニーズでがんばり抜いた。タッキーとヒガシ、この両者は森光子と舞台で共演して寵愛を受けてもいる。 ジャニーズファミリーの「長男」から、芸能界を引退して事務所の社長に転じた東山紀之。同じくJr.のリーダーから座長、やがて芸能活動を引退して副社長となった滝沢秀明。その生い立ちだけでなく、両者の軌跡はあまりにもよく似ている。 しかし、明確に異なる点があった。東山は社長就任の会見で記者らに厳しい追及を受けている。過去に後輩に対するひどいハラスメントがあったという。「人望の無さ」を批判する記事も多く見られた。 他方、滝沢秀明は人望が厚い。先輩・後輩問わず、ジャニーズの誰からも愛されている。両者の評判は、実に対照的なのだ。滝沢秀明が世間一般に大きく認知されたのは、’05年、NHK大河ドラマ『義経』の主役に抜擢された時だろう。22歳、(当時)最年少での大河ドラマ主役だった。 若々しくも凜々しいその源義経の姿を見ながら、我が脳裏にひらめくものがあった。33年前の大河ドラマを想起したのだ。『新・平家物語』である。そこで平清盛の弟、経盛役でジャニーズ事務所の新人タレントがデビューした。 ◆「強い愛」がありながら離脱した背景 郷ひろみである。16歳だった。光り輝くばかりのその美少年ぶりが話題を呼び、『男の子女の子』で歌手デビューすると、一躍、超人気アイドルとなった。 しかし、3年後、突如、ジャニーズ事務所を退所する。なんとジャニー喜多川が重病で入院中に他事務所へと電撃移籍を果たしたのだ。 これはジャニーにとって生涯の痛恨事だったという。トップスター・郷ひろみに逃げられ、事務所は傾き、長らく低迷するに至った。’80年代の“たのきん”ブームで再浮上するまで苦しんだという。 ジャニー喜多川の死後、郷ひろみは『中居正広の金スマスペシャル』(TBS系)にゲスト出演した。その後、まったく交流の途絶えたジャニーに対する想いを語り、涙を流したのだ。 それにしても――。大河ドラマで平清盛(平家)の弟役だった郷ひろみと、源頼朝(源氏)の弟役だった滝沢秀明。そこには何か運命的なものを感じないではいられない。 しかも、郷がジャニー喜多川を「裏切った」のに対して、滝沢はその最後までジャニーへの愛を貫いたのだ。 「僕はやっぱり……ジャニーズが好きなんですよ。本当に。ジャニーズが好きで、もっと良くしたい。そして、ジャニーさんが思い描いているものを形にしたいという思いが強かった」(「週刊新潮」’18年10月4日号)。 芸能界を引退して、裏方に徹すると表明した時の滝沢秀明の言葉だ。 「私は驚きと共に嬉しくて涙がこぼれそうでした」 とジャニー喜多川はコメントしている。 さて、滝沢秀明とは何者だったか? 姉にとっての優秀な弟であり、父を知らず、貧しく壮絶な環境から脱出するため努力しぬいた。仲間たちに愛された。 そうして彼は歴代ジャニーズの突出した才能たちを、はるかにアップデートした存在となったのだ。決して裏切らない郷ひろみであり、人望の厚い東山紀之であり、堂本剛と光一、両者の美点を併せ持つ “一人KinKi Kids”である。 まさに、スーパージャニーズ! かつて〈小さなジャニーさん〉と呼ばれた少年は、時を経て、遂にジャニー喜多川その人の魂を受け継ぐ最後の者となったのだ。その滝沢秀明が、なぜ、ジャニーズ事務所を離れなければならなくなったのか? 取材・文:中森明夫
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