「秋保おはぎ」妥協のない仕事で繁盛店築く 仙台・さいち創業者の故佐藤啓二さん、10日に「お別れ会」
「秋保おはぎ」で全国的に知られる仙台市太白区秋保町のスーパー「主婦の店さいち」の創業者、佐藤啓二さんが5月22日、89歳で亡くなった。妻の澄子さん(2020年に死去)と共に築いた繁盛店の礎には、あらゆる仕事に妥協しない佐藤さんの真面目な姿勢があった。 【写真】1979年のスーパー開店直後に撮影したとみられる店舗 医師から末期の胃がんと告げられた後も5月上旬まで、佐藤さんはいつもと変わらずおはぎの品出しに励んだ。毎日の売り上げと客数、天気、気温を記録する「対照表」は、ルーズリーフに鉛筆で書くのが流儀。手書きでデータを頭にたたき込んだ。 佐藤さんは秋保町出身。仙台高を卒業後、家業の「よろず屋佐市商店」に入った。20代前半で社長職を継ぎ、1979年にスーパーを創業。30歳を前に結婚した澄子さんとは二人三脚で経営した。客の要望で誕生した「おはぎ」は週末は1日7000個売れる看板商品に成長し、企業の視察が相次いだ。 おはぎ製造で佐藤さんは毎日3、4回、あんこの味を確認した。朝の日課は、店舗前から100メートル以上の道路掃除。「問屋さんに見られるから」と倉庫に置かれた段ボールの整理整頓も手を抜かなかった。 「褒められた従業員を見たことがない。ピリッとする存在」と振り返るのは、佐藤さんの下で約30年働いた課長の菊地晃さん(68)。50人ほどの従業員は常に高いレベルを求められた。 口癖は「問屋さんを大事にしなさい」。社長を継いだ長男の浩一郎さん(50)は「取引先とは値下げ交渉をしなかった。付き合いを大切にすることで、原材料や資材の供給を滞りなく受けられる。お客さんにきちんと商品を届けられるという意味だと思う。引き継いでいきたい」と語る。 都内のネット証券会社で働いた経験がある浩一郎さんにとって、父の手法は時代にそぐわないと映ることもあった。それでも2人の秋保への思いは重なる。 佐藤さんは記事やテレビで「さいちのおはぎ」と紹介されると、「秋保おはぎと呼んでほしい」とわざわざ連絡した。 浩一郎さんは「同じおはぎの味なら、秋保に店を置かなくてもいいという考えはあると思うけど、地元の活性化を大切にしなければダメ。それが父の願いでもあるのでは」と語る。 地域に根差した経営のバトンは、親から息子に確かにつながった。 ◇ 佐藤さんの「お別れの会」は10日午前11時から、仙台市青葉区木町通の仙台迎賓館斎苑で開かれる。
河北新報