女子サッカー丸山桂里奈が明かす「現役時代のお金事情」
アスリートでありながら、投資家としての意識を持つ「アスリート投資家」たちに、自らの資産管理や投資経験を語ってもらう連載「 アスリート投資家の流儀 」。今回は、2011年女子ワールドカップ(W杯=ドイツ)を制覇したときの「なでしこジャパン」の点取り屋で、2016年の現役引退後はタレントやコメンテーターとして多彩な活躍を見せている丸山桂里奈さんが、マネーへの向き合い方や投資への考え方などを語ってくれました。 2024年2月のパリ五輪アジア最終予選・北朝鮮戦に勝利し、本大会出場権を獲得した「なでしこジャパン」。池田太監督率いるフレッシュな集団は本大会でのメダル獲得を目指しています。ASローマで活躍するキャプテン・熊谷紗希選手、マンチェスター・シティでプレーする長谷川唯選手など多彩なメンバーを擁していますが、世界のレベルも上がっており、目標達成へのハードルは高いと言われています。 2011年女子W杯に挑んだ13年前の「なでしこジャパン」も、下馬評はそれほど高くありませんでした。実際、グループリーグではイングランドに0-2で敗戦。決勝トーナメントは厳しい戦いが予想されました。 最大の関門と目された準々決勝・ドイツ戦。0-0のまま突入した延長戦で値千金の決勝弾を叩き出したのが、切り札として途中出場した丸山さんでした。彼女の一撃がなかったら、日本はスウェーデン、アメリカという難敵を倒して頂点に立つことはなかったでしょう。キャプテンの澤穂希さん、司令塔の宮間あやさんらが中心ではありましたが、丸山さんのようなチームを盛り上げる選手がいたからこそ、日本は力強く、たくましく勝ち続けられたのです。 そして、翌2012年ロンドン五輪でも銀メダルを獲得。丸山さんたちの世代の輝かしい足跡は今も多くの人々の脳裏に焼き付いています。そんな彼女に、現役時代前半の仕事とサッカーの両立、マネー事情を本音で語っていただきました。 ■恵まれた環境でスタートした社会人生活 ――丸山さんは2005年に日本体育大学から東京電力マリーゼに入り、日本女子サッカーリーグ(Lリーグ)に参戦されました。当時は社員をしながらサッカーをしていたんですよね? 丸山:はい。配属先は福島第一原子力発電所で、2005~2009年は所長付という部署に所属していました。出勤は9~12時で、コピー取りやお茶配り、会議の設営など簡単な仕事をして、そのあとはサッカーをする生活でした。東電の社員なので待遇的にはすごく恵まれていましたね。 当時のLリーグだと、日テレ・ベレーザのように別の仕事や学生をしながらプレーするチーム、INACレオネッサのようにクラブと契約して年俸をもらいながらサッカーをするチームなど、いろんな形がありましたが、東電は本当に安定していました。引退後に会社に入って働き続けているチームメートもたくさんいます。 ――大卒の社会人としてはまずまずの高給取りだったと思いますが、お金の管理はどうされていましたか。 丸山:福島にいて、サッカーに明け暮れる毎日なので、正直言って生活のお金はほとんどかからなかったです。でも、自分は無駄遣いをするタイプ(笑)。外車が好きで、最初からジープのグランドチェロキーを買って、週1回は実家のある都内に帰っていたので、交通費だけで結構、使っていたと思います。 「欲しい」と思ったらすぐにお金を出すタイプだと自分でわかっていたので、危ないなと感じて、ボーナスだけは親に預けて使わないようにしていました。それでも東電を辞めたあと、「なんでこんなにお金がないの」と驚かれたくらいです(苦笑)。 ――丸山さんが東電で働いていて、北京五輪にも参戦した2008年にはリーマンショックがあり、株価が急降下し、円高が一気に進行しました。そのころ、仲間の選手たちはマネー管理はどうしていたんでしょうか。 丸山:「なでしこジャパン」のメンバーとはそういう話をしたことがないですね。私の印象ですけど、守備の選手たちは緻密に貯金していたんじゃないかな(笑)。東電の選手を見てもコツコツ節約して貯金していたようだったので。自分とは対照的だと思います。当時は株や投資などにまったく関心がなくて、本当に社会情勢にも疎かったですね(苦笑)。 ■アメリカでは1000万プレーヤーに ――そんな丸山さんが2010年、アメリカの女子プロサッカーリーグのフィラデルフィア・インデペンデンスの門を叩きました。 丸山:アメリカにはもともと行きたくて、東電にも早い段階から「外に出してほしい」とお願いしていました。でもなかなか認めてもらえなくて、3年くらい経ったときに「もう今出るしかない」と決意して、トライアウトを受けに行ったんです。 その費用はもちろん自分持ち。そのとき、貯金がほとんどなかったんで、親に預かってもらっていたボーナスと、さらに援助も受けて、ギリギリの中で行きましたね。 ――フィラデルフィアでの年俸は? 丸山:私は1クール(春~秋)の在籍でしたけど、年俸1000万円くらいはもらっていたと思います。家も無償で用意してもらえましたし、恵まれた環境でした。東電のように福利厚生とか将来の保証はなかったけど、女子サッカーの地位が確立されていて、やりがいを感じました。 ――国内だと1000万円稼げる女子サッカー選手はほぼいないですよね? 丸山:そうですね。当時、日テレにいた澤さんはプロ契約選手だったんで、そのくらいは稼いでいたのかなと思いますが、ほんの一握りでしょうね。2021年秋に発足したWEリーグではほぼいないと思います。女子サッカー選手を取り巻く環境はそれだけ厳しいのが実情なんですよね。 ■貯金を取り崩して勝ち取ったW杯優勝 ――なるほど。となると、アメリカ時代に稼いだ1000万円は貴重ですね。しかも当時は1ドル=90円前後だったので、今持っていれば、日本円だと倍近くになります。 丸山:円安だからそうなんですよね。でも私は全部使ってしまったので、今はまったく残っていません(苦笑)。 2010年9月には帰国して、ジェフユナイテッド千葉に入ったんですが、当時のジェフはアマチュアチームなので給料はゼロ。半年後に2011年女子W杯もありましたし、サッカーに専念したかったので、私はいったん実家に戻って、アメリカで稼いだ貯金を取り崩してプレーしていました。 ――そうした努力の甲斐あって、2011年女子W杯優勝を達成したのですね。ちなみに、賞金はもらえたのですか。 丸山:賞金はいただきましたが、そのお金も投資とかには回さなかったです。それとアウディの無料リースという特典もいただきました。 加えて、国民栄誉賞もいただきました。賞金はなかったと思いますが、広島県熊野町で作られた熊野の化粧筆の記念品をいただきましたね。とてもありがたかったのですが、もったいないと思って使わなかったところ、「使わないと死ぬ」という都市伝説のような噂を耳にして、どうしたもんかなと(笑)。私は今も使わないまま、実家に置いてあります。 現役時代前半の丸山さんは、どちらかというとマネーに無頓着。「今、やりたいことを優先する」という考え方で、長期的な投資や資産運用から無縁の生活を送っていたようです。そのあたりの考え方がどう変化していくのか。次回(5月14日配信予定)は現役時代の後半のキャリアとマネーについて聞いていきます。 元川 悦子(もとかわ・えつこ)/サッカージャーナリスト。1967年、長野県生まれ。夕刊紙記者などを経て、1994年からフリーのサッカーライターに。Jリーグ、日本代表から海外まで幅広くフォロー。著書に『U-22』(小学館)、『初めてでも楽しめる欧州サッカーの旅』『「いじらない」育て方 親とコーチが語る遠藤保仁』(ともにNHK出版)、『黄金世代』(スキージャーナル)、『僕らがサッカーボーイズだった頃』シリーズ(カンゼン)ほか。 ※当記事は、証券投資一般に関する情報の提供を目的としたものであり、投資勧誘を目的としたものではありません。
元川 悦子