まさかの”不良債権”…阪神、期待外れのFA戦士(6)”当時最強”のスラッガーでも
プロ野球選手にとって、フリーエージェント(FA)権の取得は1つの勲章といえるだろう。移籍市場での阪神タイガースは、的確な戦力拡充を見せている。しかし、過去を振り返ると、補強失敗となった事例も多くある。ここでは、阪神入りも期待外れの成績に終わったFA戦士を紹介する。
石嶺和彦
長打力を武器に阪急、オリックスで存在感を放った石嶺和彦。チーム状況が厳しいという事実もあったが、活躍してほしい選手ではあったはずだ。 豊見城高校では甲子園出場の経験があり、当時から注目を集める存在に。ただ、死球で左ひざを痛めた影響から、一時は社会人または大学でプレーすることを考えていたという。それでも、球団側からの熱意によって、プロ入りを決意した。 石嶺がブレイクのきっかけを掴んだのは1985年。打席数は174ながら14本塁打を放ち、打率も.302と好成績を残した。 そして翌1986年、規定打席に到達した石嶺は打率.300・33本塁打と才能が一気に開花。同球団では計241本のアーチを描いた。 1994年からは、FA移籍先の阪神タイガースでプレー。初年度こそ130試合出場と出番を獲得していたが、残りの2年は100試合未満の出場にとどまり、打撃でも不本意な成績に終わった。
ベースボールチャンネル編集部