65歳を過ぎても人生をサイズダウンしなくていい。必要なのは「人生のリノベーション」【麻生圭子さん】
水をつかむ、風をつかむ
今年は外にいる時間が増えました。自分のカヤックを買ったのです。 湖面がおだやかで、時間に余裕のあるときは、何とかひとりで小石の浜まで運び、湖水に出ています。いちいち夫の助けを借りなくていいよう軽量のものを選びました。それでも十数㎏はあるんですけどね。 ちなみにカヤックはカヌーの一種で、長いパドル(ボートでいうオール)の左右両方に水かき(ブレード)がついているのが特徴。これを大きく回しながら、水をつかんでいくのですが、当然、肩の筋肉を使います。これが私にはいいようです。肩こりに効くんです。筋肉がほぐれるのだと思います。血行もよくなります。 湖面をすべる風も気持ちいい。海水浴ならぬ、湖水浴。 とはいえ、神経は使っています。湖は急に風が吹き始めることがあるから。多くの聴力を失った私は、ほとりの枝葉や、遠くの湖面の色を見て風をよみます。 それにしても同じほとりなのに、湖上から見ると、予想以上に違って見えることに驚きます。わが家の小さいこと。小屋です。樹木も小さく見えます。 なのに水鳥は大きい、大きく見える。カヤックの上では、同じ水の生きものになってしまうからでしょうか。あちらのほうが先輩です。 いつもは私がほとりに近づいただけで、湖上へ逃げていくオオバンが、ゆるりと浮かんだまま。動じません。まさか友だちになれる? そうでした、彼らは鳥。湖面を助走しながら、飛び去っていきました。水陸空、すべてを自在に操れる。それに引き換え、人間は非力です。 でも(と張り合ってみる)、カヤックは舟底の一部がスケルトンなので、水中が覗けるんです。船底に魚が近づいてくる。それだけで感動してしまいます。 人生は短いけれど、生き方は変えられる。静かなアウトドア生活、実はとても満足している私です。
ゆっくりとゆっくりと、湖水へと
湖水にぽつんと浮かぶと、心のストレッチができる気がします。ヨガをしているような気持ちよさを感じる、小さなことはどうでもよくなってきます。 硬くなっている心がほぐれる、というのかな。 ゆらゆらと揺れる。胎児のころの記憶はないけれど、こんな感じなのかもしれませんね。私、これでもしあわせだと思っています。でも他人が思うより、何かを抱えて生きているとは思う。みんなそうですよね。 私もいろいろありました。いや、あります。現在形です。 そのなかのひとつ、聴力を失っていくことで、夫や母との関係を悪くしていった。こちらに歩み寄ってくれなければ、コミュニケーションはとれなくなります。 障害者だけでなく、その家族も生きづらくなるんですよね。 中途失聴者はふつうに喋ることができます。だから相手も喋ろうとする。夫との日常会話は、読唇と表情、空気を読みながら、交わしていました。母とは日常会話にさえならない。単語だけのカンタンな筆記。 人工内耳にしてから、夫がつぶやいた言葉が忘れられません。 「これで僕はひとり暮らしから解放された」 なかなか重たい言葉でした。結婚したころは、軽度難聴ですからふつうに会話していました。それがここ10年くらいかな、混み入った話はできなくなった。 やがて会話がなくなった。まるでひとり暮らしをしているようだった、と。