「夏は曙!」永田裕志が忘れられない横綱との真夏のG1クライマックス開幕戦…プロレスラー曙太郎さんの足跡
第64代横綱の曙太郎さん(米ハワイ出身)が今月上旬、心不全のため54歳で亡くなった。大相撲引退後は2003年大みそかのボブ・サップ戦でプロ格闘家に転向し、17年4月12日に心不全で入院するまで現役プロレスラーだった。全日本プロレスの3冠ヘビー級王座を2度奪取するなど多くの団体のリングで活躍した。15日の告別式に参列した元IWGPヘビー級王者の永田裕志(56)=新日本プロレス=は、その才能を惜しんだ。プロレスラー・曙の足跡を振り返る。 【写真】曙太郎さんにアンクルホールドを決める永田裕志 入院中は記憶障害とも闘っていた曙さん。クリスティーン麗子夫人(52)は「横綱時代のことはよく話していましたが、プロレスのことはあまり覚えていないようでした」という。弔問に訪れた永田は「横綱は『プロレスは楽しいね』と言ってましたよ」と証言し、初対決を懐かしんだ。 2007年8月5日、IWGP王者だった永田は、曙さんが初参戦した“真夏の最強決定戦”G1クライマックスの開幕戦(大阪府立体育会館)で迎撃した。試合は曙さんがパワーで圧倒し、シコを踏んで永田の決めポーズ“敬礼”をまねて盛り上げたが、最後は永田のアンクルホールドにギブアップ。 負けても評価されるのがプロレスだ。翌日のスポーツ報知の見出しは「夏は曙」。大相撲時代に同会場での春場所を得意にしていた横綱が気に入っていた「春はあけぼの」(「枕草子」の一節)をもじってのもの。「差はわずかだった」(近藤清敬記者)、「攻めたし、これから先に自信がつきました」(曙さん)、「天才ですよ。応用力も感性もあるし」(永田)と会心の名勝負だった。17年を経て永田は「強烈なビンタで首が飛ぶかと思った。試合は僕が勝ったけど、お客さんは横綱に大声援だった。会場を沸かせたのが楽しかったようです」と述懐した。 プロ格闘家デビューの1年間は曙さんにとって思い出したくない過去だったかもしれない。03年大みそかのデビュー戦「Dynamite!」でサップに1回KO負けしたシーンが鮮烈すぎた。さらに、武蔵(正道会館)、レミー・ボンヤスキー(オランダ)、ホイス・グレイシー(ブラジル)ら強豪ばかりを相手にして6連敗。05年3月19日に角田信朗(正道会館)に初勝利してから、プロレスに転向した。 同年7月2日の米WWE日本公演(さいたまスーパーアリーナ)で、“大巨人”ビッグ・ショーと組んでカリート&モーガンにヨコヅナズ・ドロップを決めて白星デビュー。同年8月4日のW―1GPで両国国技館に初凱旋もグレート・ムタの緑の毒霧を浴びて敗れた。06年3月19日には国技館で、IWGPヘビー級王者のブロック・レスナー(米国)に善戦したがベルトで殴打されて奪取ならず。 両国では、13年10月27日に諏訪魔から3冠ヘビー級王座を奪取し、チャンピオンベルトと一緒に横綱土俵入りポーズを披露した。15年5月21日には後楽園ホールで潮崎豪を破って同王座を奪回。“格闘技の聖地”での戴冠劇に、国技館とは違って遠慮のない堂々たる“ベルト土俵入り”を見せた。ほかにも世界ヘビー級(旧AWA)、NWAプレミアムヘビー級、世界タッグ、アジアタッグ王座などを獲得した。 タイガーマスクをかぶって“ボノタイガー”、顔面ペイントと毒霧の“グレート・ボノ”に変身し、大仁田厚の有刺鉄線電流爆破デスマッチにも3度挑戦した。16年4月20日には、後楽園で“世界の巨人”ジャイアント馬場さんの魂を継承する新団体「王道」を旗揚げしたが、1周年を目前に心不全で倒れ闘病生活に。「プロレス界をもっと夢の持てる場所にすることが僕の使命」と旗揚げ戦で話していた曙さんの遺志をここに記しておきたい。(酒井 隆之)
報知新聞社