笠谷幸生さんを悼む 記者と取材対象ではなく人間対人間…寡黙で真摯な伝説の男からの教え
伝説の男と話してみたい。 98年長野五輪前、都内で開かれた懇親パーティーだったと思う。意を決して近づいた。右手にビールの入ったグラス、左手にはフランスパン。豪華な料理には手をつけず、ストイックな雰囲気を漂わせていた。無口な笠谷さんの周囲には、記者の姿はほとんどなかった。 【写真】72年、札幌五輪スキージャンプ70メートル級で笠谷幸生は1回目に84メートルの最長不倒ジャンプ V字ではなく、両脚をそろえて飛ぶパラレルの時代は両足の親指を縛って寝たそうですね?年配ジャンパーから聞きかじった話を振っても、気のない返事。困惑していたら突然、「僕はね、新聞記者に胸ぐらをつかまれたことがあるんだよ」と語り始めた。72年札幌五輪直前の国内大会。ミックスゾーンで問いかけに応じなかった笠谷さんに、しびれを切らした記者が血相を変えて詰め寄ったという昔話だった。「どこの誰かも知らない相手に、話すことはないんです」。記者と取材対象の前に、人間対人間。そんな基本を教えてくれたような気がして、背筋が伸びた。 今も思い出すのは長野五輪の個人ラージヒル、逆転で金メダルを獲得した船木和喜の2回目のジャンプだ。着地と同時、いや着地直前に満点の20点をつけた飛型審判員は、笠谷さんだった。寡黙な元祖レジェンドの、後輩に対する愛情は深かった。お疲れさまでした。 (一般スポーツ担当部長・首藤 昌史)